霊術と気功を伝統と科学で学ぶブログ

Sun-Light Yellow Arts :あともう一つの解決方法をあなたに

リフトアップに使える技術

ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申します。

 

本稿では気功技術を利用した、顔のリフトアップについて紹介してみます。いわゆる美容気功のひとつですね。Sun-Light Yellow Arts流の・・・です。

数ある美容の要素のうち、顔のリフトアップにフォーカスした技術です。

 

Sun-Light Yellow Artsとしては枝葉の技術ではありますが、以前思うところがあり途中まで書いていた記事をローンチするものです。

 

リフトアップ

私は美容の専門家ではありませんので、リフトアップの正しい定義は分かりません。

それでも一般的に顔のリフトアップとは何かというと・・・、

重力に負けて下がった(失礼!)

 眉毛、目じり、頬、瞼、口元(口角)

を本来ある場所に戻すといったところでしょうか。(整形手術のように、気質的に変化させるのではなく・・・ですね。)

 

多くの方が気になる顔のパーツを紐付けていくと以下のようでしょう。(当然人によって異なりますが、まぁ一般的に)

 目を大きく:瞼

 ほうれい線:頬

 表情:口角、頬

 若々しさ:目じり、眉毛、目じりのしわ

リフトアップにより、これらの効果が期待するわけです。

 

何をリフトアップするのか?

顔のリフトアップを考える場合、狙う組織は以下の様になるでしょう。

①皮膚、皮下組織 ②筋肉・筋膜 ③血液・血流 (血流だけ機能名ですが)

この中でリフトアップに特に作用するのは、②筋肉・筋膜となります。

 

たるんだ筋肉による筋力の低下(機能低下)が、前記したような顔の状態を作り出してしまうわけです。(当然ですが実際には原因は複合的にでありこれだけが原因であることは少なくないです。)

 

この筋力低下をケアすること、すなわち筋力UPをすることで、リフトアップ効果を狙うことが、本稿で紹介するメインの”技術”となります。

 

具体的に気功で何をするのか?

まずは一般的(?)な気功と同じように(?)対象の部位の機能不全(この場合は筋力の低下)の情報(邪気)を”浄化系”技術で取り去る(書き換える)ことを行います。浄化系としたのは各流派で呼び名が異なるためです。

 

次にざっくりとリフトアップ機能を持った気(情報)を部位に流しても(入れても)よいのですが、どうしてもその人に合った細かいところまでケアできません。まぁ大体はOKなのですが、そのクライアントに合わせた施術においてはやりきれない部分があるように思います。

 

Sun-Light Yellow Artsでは、前期の一般的な気功と同じように邪気をとることと合わせて、該当の部位の筋力を上げることをします。

 

重力に負けていると考えた場合、それに対抗するには重力とは逆のベクトル方向(あ、二重の意味になっちゃう)に筋力を上げることになります。すなわち”上”に向かうベクトルということになります。

 

このベクトルの概念(≒方向と力量)を、目標の部位の組織機能にかけていきます。

 

このように書くと何か難しい感じがしますが、実際には瞼・目尻・口元・頬を”上に引っ張る”感覚です。もう少し詳しく言うと、頭頂に向かってベクトルを描く感覚で引っ張ります。

 

これらはリフトアップの部位を指定し、その人の状態に合わせて施術を配分して、もっとも望む結果を出すようにデザインします。十把一絡げではなく、例えば目じりのしわが気になるようであれば、目の外端部分の筋力に重点的に働きかけることをします。(施術時間は限られていることが多いためです)

 

ちなみにこのベクトルの考え方は以前記事にしています。(表現方法は異なりますが同じことを言っています。)

thekerrias.hatenablog.com

 

thekerrias.hatenablog.com

 

非常に汎用性が高い技術で、筋肉筋膜以外にも多用する技術となります。

 

直接的に述べているのはこちら。

thekerrias.hatenablog.com

 

いつ使うのか?

美容系の技術なので、男性でも女性でも美意識を持った方が対象になることが多いと思います。気軽に普段の生活に取り入れる事もありますが、私の知り合いはエステ後の最後の仕上げとして活用している人もいます。(エステで自分のお顔をケアする方は自分の顔の変化に敏感で、通常より効果を実感していただくことが多いようです。またエステ効果を長続きささせる効果もあります。)

 

個人的には、闘病により顔全体に生気がなくなったような方こそに試してほしいと思っています。闘病の中で元気がない状態で身だしなみを整えるために鏡を見る際、自分の顔に生気があるだけでどれだけ励みになることでしょう。

 

美容気功関係補足

リフトアップとは異なりますが以下の美容に関する項目もありますかね。機会があれば紹介します。

肌の質感:みずみずしさ、透明感、血色

これらには、神経、リンパ、ホルモン、血液のより詳しい成分、体毛のケアなどなど・・・・が関連してきます。

究極的には健康になることが美容に最適であると言う身も蓋もない結論に至ります。(笑)

 

本日は以上です。

遠隔気功・ヒーリングの手触り

ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申します。

本稿では、遠隔ヒーリングや気功、霊的技術を行うときの手触りについて述べていきたいと思います。

その時の手触りとは?ですね。

 

遠隔で何をしているのか?

気功やスピリチュアルヒーリング(?)、サイキックヒーリング(?)の各流派によって、遠隔施術の際に行う内容は異なります。(遠隔せ術を否定する流派もありますがそれはとりあえず横に置いといて・・・)

 

一昔前(大体30年前・・・笑)の遠隔ヒーリングでは、相手を思いながらまたは電話を繋ぎながら気(とか念とかパワーとか)を送る手法が多かったです。この時相手の細かな患部に送るパターンと全身に送るパターンが存在しますが、いずれにせよあまり手や腕は動かさないことが多かったです。どちらかというと顰めっ面(しかめっつら)で行う人が多かったですね(必死にやっているアピールにも見えますが)。加持祈祷などは宗教的作法に則った動作はしますが、ヒーリング自体に直結した動作ではありません。

 

ここで言う”ヒーリングに直結した動作”とは、その動作がヒーリング効果または望む結果に繋がることが想像できる動作をさします。例えば先ほどの加持祈祷の護摩木を焚く動作はあくまで炎をたてることがメインのものです。ヒーリングの動作とは言いづらいかと思います。

 

対して近年の気功の”遠隔浄化”技術などは、わかりやすく何か(邪気など)を明確に退かす・除去する動作であることが見て取れます。(最近のヒーラーや気功師さんたちはYOUTUBEに自分たちの遠隔施術の様子をUPしていますので、それをご覧になられると良いです。) その他にも様々な手の動かし方をしています。玉のようなものを扱うパントマイムのようなことをしたり、押し込むような動作や空中に文字を書く動作などが代表的でしょう。

 

これらの違いは何かというと、気(念、パワー、エネルギーもろもろ)を離れた相手に送るという手法と、相手の(気的霊的概念的)分身を”呼び出し”その分身に対して施術をするという手法の違いです。よりマクロに見ればどちらも同じことをしていると気づくのですが、その手法によって臨場感の生成のしやすが異なります。(もちろんこれに該当しない流派も山ほどあるのですがここでは割愛)

 

臨場感を得るために

ではどちらの手法が良いか?ということになりますが、結論としてはどちらでも良いことになります。ただし臨場感と気感を得られることができる手法であることが重要です。臨場感の強さが施術の結果に大きく関わることが多いです。

 

個人的には(慣れもありますが)施樹相手を呼び出すやり方の方が、臨場感を得やすいと感じます。

 

最近の多くの気功では、相手の気的(霊的)分身を気の玉の形で呼び出す(取り出す)ことが多いようです。球状の相手(!)に対して各種ヒーリング技術をかけていきます。臨場感は減少しますが汎用性があり抽象的思考ができる(抽象度が高い!)のであればこの方法も良いです。

 

対してもう一つの方法として実際の体の大きさで相手を呼び出す方法です。Sun-Light Yellow Artsでは極初期の段階ではこの方法を進めています。相手を認識し実物大の体を想定してそれに対して施術をしていきます。体の実態(肉体)がないだけでリアルな肉体がある場合とほぼ同じ容量で施術をしていきます。相手の想定する情報量が増える分、臨場感が増します。その結果良い結果が出ることがあります。

 

さらにさらに初心のうちは見えない実物大の体の臨場感をサポートする為に、人形(ひとがた)の敷物を用意しそこに呼び出しその状態で施術する場合もあります。ちょうどチークラインのように自分で書いたり、色のあるテープで描いたりしても良いです。

ja.wikipedia.org

以降、相手を呼び出す方法での記述になります。

 

手触り

ようやく手触りの話になります。

 

気の玉の形にせよ、実物大の気の体の形にせよ、そこに対して施術をしていきます。これが遠隔ヒーリング・気功です。多くの技術がその気の領域に、手を突っ込む動作をします。先ほどの何か退かす動作もこれに当たりますね。

 

本稿ではこの時手に感じる感覚のことを”手触り”としています。

 

この時に何を感じるのか? 側から見ると何もないところを術者が手でゆらゆらと動かしているように見えます。しかしその手にはしっかりとした感覚があります。

 

この時どこにフォーカスして意識をするか?によって感じる(気の)領域が変化します。病気治療の遠隔をしている場合は、異常があるところに対して感覚が発生することが多いです。これは業界(?)では気感と言いますが、共感覚であります。捉えた情報がその人にとってわかりやすい感覚に変換されて感じます。よって人によってその感覚=手触りは異なります。熱として感じる人、磁力として感じる人、スース―とした風として感じる人様々で正解はありません。

 

普通(?)は手の感覚で現れるのですが、違うパターンで感じる人もいます。私の知り合いの方なのですが、邪気(マイナスの情報)に触れる又は意識を合わせると、横隔膜に反応が出る方がいます。遠隔気功をしているとき、気の体に手を入れて気の状態の捜査をすると、邪気がある部分=罹患している部分にあたると、しゃっくりが出るのです。疾患だらけの方を施術する場合うまくレベル合わせをしないとずっとビクビクしゃっくりをしている状態になります。申し訳ないですが側から見てるとかなり滑稽でして・・・。

 

この辺は本ブログの共感覚についての投稿をお読みください。

 

thekerrias.hatenablog.com

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重要性

この手触りは重要です。ここでは二つの役割について述べてみます。

 

一つ目は、施術対象が明確になるということです。(側から見ると)何もない領域で手を動かすわけですが、この時この手触りがあるとその対象が明確になり、継続した施術が行うことができます。

 

逆にこの手触りがないと、何もない場所に何もない感覚のまま手を動かすことになります。意志の強い人はともかく普通の方が長時間(数十分単位)の施術は難しいです。

 

手触りがなくても一定の施術効果はあるものですが、継続してできないのは致命的です。それを補助するためにも、先ほどの分身を実物大で想定した状態での施術を勧めています。そうすることで手触りがなくてもある程度長時間施術をすることが容易になります。対象がはっきりしているためと思います。

 

二つ目は、手触りを通して施術される人のまたは患部の変化を感じることができるためです。その手触りを頼りに、様々な気的霊的技術を繰り出します。一つの技術をしばらく行って変化が無いようであれば、異なる技術でアプローチをしていきます。この変化を感じ取れるかがとても重要です。できれば治る感覚(または効果がある感覚)、治らない感覚の区別がつくのが良いのですが、少なくとも変化をかじることが重要です。

 

よく初心者の方から”遠隔はどれくらいの時間割れば良いのですか?”と質問を受けます。人tの答えとしては変化が出るまで・・・と答えることが多いです。(超初心者の場合で手触り(=気感)が非常に薄い人には時間で区切るようにように言う事もありますが)

 

今回は”手触り”として記事を書いていますが、施術をする上で、気感(=共感覚)は手の感覚以外でも使用することはできます。ざっくり言うと、見える人は見れば良いですし、他の感覚を頼りに施術している人もいます。

 

フィクションな話

最後に私の苦い経験をお話ししてみます。あ、フィクションです。

 

とある人から心臓がおかしい感じがすると連絡を受けました。そこで私はやばそうだったら迷わず医者に行くように伝えつつ、すぐに遠隔で施術を開始しました。

 

その時の手触りは熱と重みを感じるようなものでした。かなり強く感じます。しかしいくら施術をしても一向に良くなる感覚(手触りの変化)がありません。施術がうまくいくと、①手触りが変化またはなくなる→②しばらくするとまたは即時に症状がおさまる→③その後病気の原因が徐々に変化していく・・・・といったパターンが多いのですが、その時は①が起きません。

 

施術の効果が現れない場合でも①の感覚がほんの少し起こるものなのですが、この時は全く起こりません。これは異常自体が起きていると判断しました。そこで再度その人に連絡し、もし病院に向かっていないようなら今すぐに病院に行くように強く伝えました。必要なら救急車も使えと。

 

数時間後、その方が病院から連絡をいただきました。かなり良くない心臓の状態であったとのことでした。しかし病院に行くことでなんとか命を拾うことができました、と。私の遠隔施術は役に立たなかったのかな?でもきっかけは何にせよ病院に行かせることができてよかったと思っていました・・・その時は。

 

本人の希望もあり、回復を早める目的で遠隔施術をすぐに再開することになりました。しかしその時の手触りは病院に行く前の感覚とあまり変化がありません。病院でどのようは処置をしたかは聞きませんでしたが、変化がないのはどういうことだろう?と思いながらも、私の気感がへっぽこなのだろうと思い施術を続けます。相変わらず①の感覚が起きません。おかしい。でも気のせいかも?。。。

 

その日は断続的に遠隔施樹を行いましたが、夜もふけてきたの就寝いたしました。

そして次の日。

その人の訃報が届きます。後日聞いたのですが、深夜に心臓破裂を起こしたとのこと。

 

自分の施術の未熟さ痛感しつつ、信頼して施術を依頼してくれたその人に対しても申し訳ない気持ちです。この話はもう数年前のことではありますが、その時の施術中の手触りは今でもはっきりと覚えています。

 

治療の手触りについて記述している際に思い出したので吐き出してみました。手触りの重要性と切羽詰まった臨場感を感じていただければと。

 

あぁ、もう一度言いますが、フィクションです。

 

本日はここまでといたします。

 

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Sun-Light Yellow Arts は霊術か?

ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申します。

本稿では、Sun-Light Yellow Artsの考え方や、一般的な霊術についてその概要を述べていきたいと思います。

 

Sun-Light Yellow Arts

“Sun-Light Yellow Arts”は、”霊的技術”としています。

そして”太陽の光のような霊術体系”の意味を込めて名付けています。

(私の頭文字をつけて”S式霊術”とも言います。)

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私(この霊術・ARTS)の目的は、皆様のあらゆる困りごとを、皆様自身で解決できる技術の伝道です。その技術は失われつつある古来の技術も含んでおり、その技術を少しでも残すためということもあります。もちろん最初は私もお手伝いいたしますが、最終的には私無しで皆様方一人一人が自身のまたは他人の困りごとを解決できる状態になることを目指します。

 

技術体系としては、これまでも本ブログで紹介してきたIKTM流(私が修行してきたヒーリングメソッド:I had received the Knowledge and Trained healing Method.)をベースとして認知科学や現代哲学で再解釈を行っています。

 

IKTM流をベースにしていますが、他の概念・考え方を取り入れて、誰でも出来るなるべく怪しくない霊術を目指しています。

 

気感(見えないものを感じる能力)の習得は、認知科学式気功(技術群)の優れた共感覚鍛錬方法をスタートとし、そこから伝統的な作法を含むものへと展開する内容です。

 

ポイントは、”自分の子供に自信をもって伝えられる技術”とすることです。そのために日本人としてのアイデンティティのような概念は残しつつ、前記のように科学の考え方を入り口としてしています。

 

ただし多分に宗教的エッセンスが入ります。神道古神道の印・作法や神々の話も多々出てきます。更にいうと古史古伝の世界観も入ります。

 

よってスピリチュアルな内容をどうしても含みますが、それはスパイス的な楽しむものとして、あくまでも実のある・結果の出る技術との位置づけです。(もちろんスピリチュアル大好きな人もドンと来いです(笑)。ただしスピリチュアルは”混ぜるな危険”なので要注意です。神道系の世界観が受け入れられないスピナ人はダメかも?)

 

また時には九星や家相の考え方で暮らしの質の改善も補助としてます。

thekerrias.hatenablog.com

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霊的技術すなわち霊術とは言ってはいます。が、実は他に呼び名がないためそのような呼び方をしています。気功と言うこともできますが、占いや護符(お守り)の作成、先祖の考えかた、神々の畏敬の念、除霊浄霊など霊的技術を用いた運命開運、各種手印、言霊信仰、現代医療の考え方を取り入れた肉体・精神へのヒーリングまたは病気治療・・・・などなど。これら雑多に見える技術群が古神道的な考え方で貫かれた統一された技術です。気功というのはちょっと違う気がしています。

 

繰り返しますが技術群の呼びようがないので霊的技術または霊術としています。

 

そして新たに名付けた名称が”Sun-Light Yellow Arts”です。このArts(技術)は太陽の光のように多くのスペクトラムを含みます(変な言い方ですねぇ)。そしてもちろん太陽は天照皇大御神と言えます。

 

そしてそして太陽の色は山吹色です。国によって太陽に色のイメージは色々ありますが私にいはこの色が当てはまりました。

www.boss.info

なぜかBOSSエフェクターのリンク!! わかる人だけニヤリとしてください。

 

「やまふき」としたかったのですが理由あって「やまぶき」です。味噌がついてます。つけてます。(謎) 

 

そもそも霊術とは?

一般的には、明治から昭和初期の霊術ブームで現れた”霊術”を言うことが多いようです。

 

西洋から流入してきた催眠術や不可視のエネルギー(のような)考え方などが混じりながら、それらが更に日本古来の宗教的なものと混じりながら多くの人物が現れました。(流派というには突発的すぎるかなと。)

 

Wikiには下記のように記されています。

 霊術(れいじゅつ)は、明治末から昭和初期にかけて日本で大流行した一群の民間療法である。海外から導入された催眠術(メスメリズム)や心霊学、心理学などと、日本の修験道などの呪術文化が融合して生まれたもの(以下著者により略)

ja.wikipedia.org

上記WIKI中では参考図書の霊術研究をされた井村氏の解釈を引用し、霊術は催眠術が(そしてインチキが)多くの割合を占めているような書き方をされていますが、私はそれは少し違うのではと考えています。もちろん催眠術もありました。パフォーマスをして人々を魅了するにはうってつけです。(体が硬くなったり、針を刺しても痛くなかったり・・・・この辺は今の催眠術と変わらないのかな?)

 

しかしこの時代の霊術の肝は、古来の霊的、宗教的、修験的技法と西洋の考え方が融合し、そしてそのバックボーンとして日本の宗教的解釈がされていることです。

 

この構成はまさに今私が実践している技術そのものと言えます。

 

霊術の構成については個人的には松原皎月氏の著書を読んでいただくとその片鱗がわか

るかと思います。(実践技術内容や思想的内容には相容れない部分も多い(っていうかほとんど)のですが、技術体系という意味で、です。松原皎月氏は当時のとても有名な霊術家です。みんな大好き八幡書店で著書が復刻されています。参考までに書籍のリンクです。(高額!!)

www.hachiman.com

大正昭和の霊術にあって、Sun-Light Yellow Arts に無いものとしては、催眠術、コックリさんや一部の動きの激しい霊動法(不随意の動作。中国気功の自発動功に似ていると思います。ひどい場合は俗にいう狐憑きのような状態を引き起こすものもあります)が大きいところでしょう。

催眠術に関しては、認知科学式気功の定義である”内部表現の書き換え”と共通する部分も多いのですが、パフォーマンス的なことはやらない(できない)ということです。

 

まだまだ霊的技術、霊術に感して書きたいこともあるのですが、本日はここまでといたします。

Sun-Light Yellow Arts : 太陽の光のような気の技術を目指して

ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申します。

本稿は、告知のような内容になっております。

気功やスピリチュアルのマニアックな内容ではありません。すみません。

 

気の技術を伝えて行きたい

最近、ブログでの気の技術・見えない技術の考察発信だけでなく、これらに興味のある方にこの技術を伝えて行きたいと考えるようになりました。

技術や知識を列挙するだけでなく、より社会的機能とすることも重要であると。

 

私自身も、故師匠や気功の先生から教わった技術を実践・活用し、救われた部分がかなりあります。これらを希望する方達が活用し、人生の困りごとの解決のお手伝いをすることが、私の一つの社会的役割なのではないか?という思いがあります。

そしてまた日本古来の技術を少しでも残していきたいという思いもあるのです。それは自分の子供や孫に対しであることも例外ではありません。

 

Sun-Light Yellow Arts

この気の技術(霊術)の名は:Sun-Light Yellow Arts としました。

 

概要ページの繰り返しになりますが、以下のようなコンセプトです。

 

あともう一つの解決方法をあなたに・・・

あらゆる困りごとのもう一つ出来ることとして、霊術・気功活用を提案いたします!

 

日本古来のスピリチュアル的霊術を認知科学や哲学で再構築し
伝統的手法と型は残しつつ、誰でも実践できる霊術=気功的技術をお届けします。

 

技術のコンセプトは「自分の子供が孫に伝えられる技術であること」です!

 

これまでブログ内で紹介してきた、IKTM流(私が修行してきたヒーリングメソッド:I had received the Knowledge and Trained healing Method.)を
認知科学とその他現在の知識・科学的・哲学的アプローチ手法でリビルドしています。

ただし、完全にスピリチュアルや神霊の要素を抜いてはいません。

バックボーンにある宗教的霊的考えは残しそれを楽しみつつ(臨場感の補助線としても)、技術習得の際には最短距離を歩めるように科学的知見をふんだんに入れた解説を行うスタイルです。

 

基本は、皆さんに技術活用ができるようになっていただきたいと考えています。
(そのためにこれまで技術的なことを中心に書いてきたつもりです。)
(もちろんお困りごとの解決のお手伝いはさせていただきます!)

 

内容について

無料の部分も考えていますが、基本は有料を考えています。(料金体系はまだ未定・・・)

 

これまでブログ内にあることは基本的にレクチャーが可能です。(ただし段階を踏まないといけないものもあります。)

直接お会いして、ZOOMなどを活用して、ビデオ教材として を考えています。
問い合わせフォームやメールからリクエスト及び質問などしていただけると幸いです。

 

直接会ったりZOOMするのはちょっとな(怪しそうだし)・・・でも内容をもう少し知りたい。できれば動画で!などもあれば作成いたしますので、是非リクエスト頂きたく存じます。

 

それでは、今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

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神代文字について

ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申しましす。

本稿では、神代文字について述べていきます。

 

前回の「お守りについて」でも少し触れましたが、もうすこし深堀して述べていきたいともいます。

かなり私見が入りますので、先に述べておきます。

 

thekerrias.hatenablog.com

 

なお、本稿では多くの書籍やNET情報から言葉や図表を参照させていただいております。

 

神代文字とは

神代文字とは一般的に(?)には、日本に漢字が伝わる以前に存在した文字の総称とされています。またその文字には様々な種類があるとされています。

神代文字 - Wikipedia

現代でも古くからある神社などに神紋や文献、碑としてのこっています。最近流行りの御朱印にも記されていますね。

 

例えば

神社をたくさんめぐるひと、山田ごう様より

jinjamegurijapan.jp

 

伊勢出版様より

https://ise-books.jp/gosyuin-hirata/(【東京御朱印、ここがすごい!】平田神社(代々木)の神代文字御朱印 | 伊勢出版]

 

基本的に日本語の「かな」の一文字に同じ「音」の文字が対応する構成のものです。ほとんどがそのようになっています。

 

このような神代文字を知らしめたものとして、古史古伝Wikiより:古代史の主要な史料(日本の場合なら『古事記』や『日本書紀』など)とは著しく異なる内容歴史を伝える文献を一括して指す名称。)があります。神代文字で書かれたされる代表的なものとしては、

 

上記(ウエツフミ、豊国文字)

上記 - Wikipedia

 

 秀真伝(ホツマツタエ、秀真文字

ヲシテ - Wikipedia

 

 三笠記(ミカサフミ秀真文字

ミカサフミ - Wikipedia

 

カタカムナ文書(上津(カミツ)文字)

カタカムナ文献 - Wikipedia

秀真文字はヲシテと呼ばれることも多い。個人的趣向からここでは秀真文字としています。

などがあります。(異論は認めます。)

 

また、その他様々な古史古伝神代文字は登場します。その他の代表的なものは、九鬼文書竹内文書、宮下文書、物部文書、東日流外三郡誌でしょうか。

古史古伝 - Wikipedia

 

その他様々な神代文字が存在します。下記を参照ください。

神代文字の一覧 - Wikipedia

 

また、ペトログラフ(グリフ)として日本各地に存在すると主張する方も多いです。

ペトログリフ - Wikipedia

 

現在では神代文字を優しく解説して、誰でも使えるように解説(?)した書籍も出てきており、ひたしんでいる人も多いことでしょう。

(様々な本の著者が、様々な立場で書かれているので、その違いも面白いです!)

 

秘匿性を機能として使用する場合

お守りについて述べたときに、秘匿性を上げるために神代文字を使用するとしました。

 

本稿でこれまで解説したように、多くの神代文字がすでに白日の元に曝されています。ということは秘密にしたくて神代文字で書いているのに、その意味がなくなってしまうのでは?と思うかもしれません。

 

しかし、神代文字を知り、かつ参考書もなしに読める人はかなり稀です。先に紹介した御朱印に何が書いてあるか調べる人は少ないでしょう。

 

よって、お守りに神代文字を使用することは、十分秘匿性を担保していると言えます。

 

文字自体にパワー(笑)があるとする説

このパワー(笑)とは何かは置いておいて・・・・。

 

私が初めてこの説を唱えている人を知ったのは、先に記したペトログラフの紹介をしたTV取材放映を見た時です。学術っポイ解説やそのペドログラフのあらましを説明した後、取材に同行していた「気功マニア」の人たちが、その岩に掘られた文字群に手を触れ(当時はOKだった。今きっとダメでしょうね。)て、「感じる!」「熱を感じる!」などと言っているのを見た時でした。

 

この場合の解釈として、文字自体にパワー(笑)がある場合と、書かれている岩のその部分にパワー(笑)がある場合がありますが・・・。

 

この考え方は、神社の御朱印にも言えます。御朱印神代文字自体にパワー(笑)があると考える場合と、その書かれた紙にパワー(笑)が込められている場合、そしてその両方もあるでしょう。

 

神代文字自体にパワーがあるとする方達によっては、その神代文字が書かれた文字を体にかざすと身体の不調が改善すると行った方たちもいます。また写経のように書き写すワークをすることで、幸運を得ようとする方たちもいます。

 

このように神代文字自体に「見えない何か」あると考え、解釈し、行動に移す方たちも多いのです。

 

神代文字は偽物説

次は神代文字を真面目に(?)文字と捉えた場合について紹介します。いわゆる神代文字は偽物ではないか?についてですね。

 

さて、

神代文字が漢字伝来以前の文字とされていることは、少なくとも日本に漢字が伝来したとされる4世紀後半の弥生・古墳時代よりも前に作られていることになります。(漢字は実際にはもう少し早く中国からの伝来品などにその記載はあったようですが、一般的に・・・・です。さらに漢字をしっかりと使えるようになったのは、仏教伝来の頃という説もありますね。)

 

ここで問題は昔の日本語は現在の音数よりも多くの音があるとされていることです。

ペトログリフ - Wikipedia

 

少なくともここに示すような、現在の日本語の仮名に相当しない発音があることがわかります。

 

しかしそれに対応する神代文字はありません。少なくとも現在開示されているものには無いようです(私調べ)。これが偽物であるとされる根拠の一つです。

(また最近でも「ゑ」や「ゐ」は使われなくなっていますね。)

 

その論を紹介している書籍があるので紹介しておきます。

文字が音を表すものである以上、古代において区別されていた音韻、つまり意味の違いを反映する音が体系的に書き分けられていなければなりません。〔中略〕奈良時代以前には、イロハ四七音以外に、少なくとも二〇音が音節として区別されていました。しかし、主張されている神代文字は、一〇世紀中葉以降の,イロハ四七(または「ン」を加えて四八)音、もしくは五十音図による五〇音を書き分けるという域を出ていません。つまり、奈良時代以前の言語上の特徴が、それらにはまったく見られないのです。

沖森 卓也 『はじめて読む日本語の歴史』 ベレ出版,2010年

 

本当に神代文字は偽物、すなわち古代の日本固有の文字では無いのでしょうか?

中には神代文字はを偽物と断定することはできないとする主張もあります。(アカデミア的には主流ではないため多数派ではありませんが。。。)

しかし明確の証拠はなかなか示すことができていないのでは無いでしょうか?

 

以下の書籍は神代文字は存在してほしいとする立場(たぶん)の著者ではありますが、歴史的な神代文字の真偽の主張を分析しています。

謎の神代文字_消された超古代の日本/佐治芳彦/徳間書店

神代文字だけでなく竹内文書に関しても!この著者は古史古伝の書籍を多く出してます。ちなみに私が所有しているのは文庫化の前、1979年発刊のものでした。。。。

 

ブログ主はどう考えるのか?

ここでは私(本ブログ主)の考え方を紹介します。もちろんこれが絶対正解というつもりはなく、こういう流派もあるのだな、ぐらいにとっていただければと。

 

私(ブログ主)は神代文字肯定派であります。しかもかなりスピリチュアル寄りです(笑)

 

神代文字の真偽に関しては、神代文字がはるか昔から使われていたとするので真偽が問われてしまうと考えています。(もちろん実際に昔の誰かが創作した物もあるのでしょう。遊びだったり、簡易的な暗号の目的として。忍者が神代文字を使うのはこのためかも?)

 

遥か昔から変わらず「ある」のではなく、都度都度修正されて出現してきているのです。(私見であることは再度)

 

KTM流(私が修行してきたヒーリングメソッド:I had received the Knowledge and Trained healing Method.)の解釈(≒私の解釈)では、神代文字は必要なときに必要な人に降ろされるものであり、年代が違えばその内容も少しづつ違っていくものであると考えています。

 

神代文字は人間が書き記した物です。ただし人間が考えた訳ではなく、少なくともインスピレーションは受け取って記載していたのです。それを昔は「神がかり」の状態と認識したはずです。

 

(ここで少し情報場的な解釈を試してみますと、神がかり=深いトランス状態にて、神や神代文字を使用してきた文化宗教的情報場に触れ、その時代時代の知識でその情報場の情報を書き記していった・・・と。)

 

実際に私が故師匠から受け取った神代文字は、書籍で紹介されている各種神代文字と微妙に異なります。この受け取った文字は新たに「降ろした」ものであるとされていました。

 

また、神代文字のパワー(笑)問題ですが、神代文字の「音」の言霊があり、その言霊情報を込めた神代文字には、周りに影響を与える機能が封入されていると解釈しています。

 

さらに神代文字自体は秘すべきものであると考えます。

それは神代文字を受け取りそして秘匿することが受け取り側の義務であり、神的な何かとの約束であります。この条件をつけることで重要度が増し、その機能の関数が強固になっていくのです。

 

今日はここまで

うーーーん。このように書き連ねてみると、私の神代文字の解釈はスピリチュアル的であると認識はしていましたが・・・・・、そんなものではなく・・・・この業界の極北ですねぇ・・・・。

 

 

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お守りについて色々と

ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申しましす。

 

本稿では、お守りについて述べていきます。

お守りそのもののあらましというよりも、お守りを自作する上で大事なことをいくつか紹介していきます。

 

その内容的には日本風(?)の・・・です。西洋のお守り(タリスマンやアミュレット)のような物ではなく、紙に書くタイプです。

 

 

お守りとは?

とはいえ、お守りとは何か?ということも少し触れていきます。

一般的には(とはいえかなりマニアックにまとめてくださってますが・・・)

ja.wikipedia.org

となっているようです。

 

上記リンクにはあまり言及されていませんが、身につけていることで魔除けや幸運を呼び込む(?)ものと言うことができるでしょう。

 

本稿で主に述べるのは、お札と呼ばれる部類になるかと思います。

 

そしてIKTM流(私が修行してきたヒーリングメソッド:I had received the Knowledge and Trained healing Method.)ではその身につけたお守りから神気が出て人を包み、その影響を与えるとされていました。

 

ですのでお守りには、何らかの気(この出どころが神様か人かによらず)が込められているものと言えるでしょう。

 

そして基本的にはその込められた気が放出されることで、そのお守りの気が減っていき、いずれは気が枯渇し効果がなくなるとされています。

 

 

お守りは誰が作るのか?

お守りは誰でも作れます。本屋さんにはその手の本が並んでますし、インターネットで調べればいくらでも出てきます。ただし「お守りの作り方」で調べるとお守りを入れる袋の作り方ばかりになるようなので、「護符の書き方」などとするとかなりマニアアックな解説に行き着きます。

 

かなり厳密なお作法が書かれているものもありますが、それはお守りにいかにして大量にそして目的に合致した気を入れるのか?を考えた末のお作法と言えます。ですのでそのお守りを作る宗教的文化的バックグラウンドによって、そのお作法が変わっていくのです。

 

しかし重要なのは、先にも述べたように、お守り(護符でも)に気を込める必要があるのです。いかに気を入れるか? そして効果がある気を放出させるか? さえできれば良い分けです。あとはそのための手法や工夫な分けです。

 

言い方を変えると、思いを込めることができれば良いことになります。(思いを込めると、気が篭ります。)

 

お守りを作る人が気功技術や法力、霊術などそのための能力を有している場合は、それを使えば良いです。認知科学式の気功では”封入”ですし、IKTM流では”魂入れ”と呼ばれる技術がそれにあたります。

しかしそのような能力(?)を持っていない人は、自作するお守りに「願いを書く」ことでその思いを多少なりとも込めることが出来ます。(”封入”や”魂入れ”に対比して”書く”と記しましたが、封入などのお作法については過去記事をご参照ください・・・。後ほどリンクを貼っておきます。)

 

また作るのが面倒だったり、気を込める自信がない方は、先述のお守りを作れる人(封入ができる人など)に、カスタマイズされたピンポイントの自分の願いが込められた物を作ってもらってもいいかもしれません。(家内安全とか交通安全などありきたりなものを神社に売ってますので!)

 

 

気をつけること

お守り作りを紹介する前に、お守りを持つ上で気をつけることを紹介しておきます。

何も特別ではなく、皆さん一度は聞いたことがあることだと思います。

 

それは ”中を見られてはいけない” ということです。

 

中に何かが刻まれたものが入っている場合は、刻まれてあることを見られてはいけないのです。

 

この刻まれている(ある)ことは、その持ち主の願いが書かれている場合と、神聖なサイン(梵字神代文字や特殊な記号など)である場合があります。いずれも見られてはいけないとされています。

(特殊な記号で有名なのは、五芒星などでしょうか?)

ja.wikipedia.org

 

持ち主の願いとはそのお守りが成そうとしている目的ですね。この場合は、持ち主と作り主以外の人にその内容を見られてはいけないと言うことです。見られてはいけないとは、内容(願い)を第三者に読まれてはいけないということです。

 

その願いが一般的(交通安全とか)なら良いのですが、実際の作成してもらうカスタマイズされたお守りはもっと泥臭い人間の願いが書かれます。(人は聖人君主では無いですからね) その願いがバレてしまうのが恥ずかしいだけでなく、邪魔をしてくる人もいるからです。その人が良かれと思っていてもです。(この辺は、よく”ドリームキラー”と呼ばれてますね。あ、一般出来はないかもですが)

 

また神聖なサインの場合は、持ち主もその記述内容を見てはいけないとされています。持ち主は中に書いてある意図はわかっているはずですので見る必要はありません。見て良いのは作成者だけです。(持ち主が作成者の場合はOKです。もちろん。)

 

神聖なサインにはそれ自体に力(この場合は気が込められそれを発すると言うこと)があるとれており、その効力を維持するために見ないことの”縛り”が必要とされています。



この”縛り”の解釈はいくつかありますが、サインを見てしまうことで、神聖さを失ってしまうためと解釈できます。神聖さが保たれているお守りは、持ち主の意識に「特別なお守りを持っている」があるという利点があります。この特別感はお守りを持つひとの行動を現実的に変えていくはずです。(お守りに力があろうとなかろうと・・・・あれ?何かヤバいことを言ったような・・・)

 

 

IKTM流お守りの作り方

ここからは古神道系のIKTM流のお守りのお作法です。このお作法または縛りによりお守りの効果を増加させるのです。

  • 和紙に願いを書く。包むのも和紙。
  • 筆を使う(筆ペンでもOK)
  • 縦書き(日本語)
  • 大量生産はしない

とりあえずこれが最低限のお作法です。

 

さらに付け加えるならば(技術を持っている人は)

  • 使う道具は新品のものを使用し、使う前に浄化(これも認知科学式気功の浄化でもOK)をする
  • 技術を持つ人は、願いを書いた和紙に、願いの内容の気を込める(認知科学式気功の封入でもOK)

となるでしょう。

 

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また、第三者に見られてはいけない、又は見ることで効力が失われる恐れがある場合は、暗号で書く方法もあります。神社で伝わるような神代文字で書くのも良いでしょう。

ja.wikipedia.org

 

もう一つの内容を秘匿する方法として、墨ではなく水で文字で書く方法もあります。暗号と合わせても良いです。この場合何も書いていないように見えるかもしれませんが、”込められて”います。

 

 

お守りの期限とその処理

お守りには効果が持続する期間があります。期限があります。

 

作成する人の思いの強さや、封入や魂入れの技術レベルにもよりますが、数週間から数ヶ月といったところでしょう。長くても1年です。

 

追加で気を込めて延命する方法もありますが、それよりは新しく作った方が良いです。願いも微妙に変化しているかもしれませんし。アップデートするのです。

 

そしてお役目が終わったお守りは、多少面倒ですが、自分で燃やしてその灰を土星の日(九星での)に敷地内の東にある木の下に埋める方法があります。(私が初め自分でやった時、ガラスの灰皿で燃やしたのですが、その灰皿が熱で割れてしまったことがあります。また火事などにならないように気をつけて行ってくださいね。)

 

しかし非常にめんどくさくもあるので、以前本ブログでも紹介した川流しが一番良い処理の仕方です。ですが、如何せん不法投棄になるので大きな声ではお勧めできません。

 

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まぁどちらもやりたくないと言う方は、神社などのお焚き上げで処分するのが良いでしょう。

 

 

お守りをもつことの解釈

お守りを持つことで、お守りから発する気を受けます。その作用で不幸を避け、幸運を呼び込み、願望を叶える(かもしれない)ということを書いてきました。(つもりです。)

 

これはこれで良いのですが、どうしてもスピリチュアル又はオカルティックな文脈を避けることができません。それが好きな方は良いのですが。。。。

「お守りは迷信であり、その購入はお金の無駄である。」と主張する方もいます。

 

そこで以下のように考えてみるもの良いかと思います。

 

本稿の”気をつけること”項の最後でもついつい先走って書いてしまっていますが、お守りを持つことで、その人の意識に又はその意識の片隅に”お守りを持っている”ことが植え付けられます。

 

本来の自分の望み・願望・目標がいつも意識にある状態が、お守りを持つことによりキープできまます。さらにお守りの持つ神秘性や不思議な力がある(かもしれないでも可)と思うことで、望み、願望、目標に対する期待値が上がります。

 

特に日本人は無宗教であると言いながらも、生活のごく近くに神社仏閣があり、良くも悪くも神様(仏様)を感じているはずです。この環境もお守りの働きを助けます。

 

二つの作用により意識に刻みつけられることで、その人の行動が変わっていきます。

行動が変わると、結果がついてきます。望む未来がやってくるのです。

 

 

とは言え・・・

本質的には自分が変わることでしか未来は変わらないと言えます。(まぁ異論はあるかもですが。)

 

しかし、この業界(?)にいると、その人(お守りを持つ人)の目に見える行動は一切変わらない状態で、突然願望が達成したりします。

 

これは、目には見えないがその人の気持ち・無意識(内部表現!)は変わっており、ごくごく微妙な変化がドミノを倒すように、結果へ向けて何らかの作用をしたと推測されます。

 

推測されますが・・・・。まぁ、そうなのでしょうが・・・・・。

それだけでは説明ができないような事例もあったりします。

 

例えば突然思いもよらない経路から幸運がくる場合です。お守りを持つ前に応募した懸賞や宝くじなどで収入が入ったりするような場合や、本稿では述べてきませんでしたが、お守りを持つ人がそのお守りの存在を知らない場合です。この場合はお守りの目的の意識付けや神聖さのブーストがありません。

 

偶然で片付けることもできますが・・・・。

 

極極個人的には、お守りが持つ”何か”が”何処か”に作用していると思うのです。

 

この”何か”は、気・情報・神気・意志意図であり、”何処か”は、無意識・内部表現・縁起・一魂七魄・関与する霊であります。

(すみません。ここでまた新しいワードが出てきてしまった・・・)

 

 

まだまだ書かなければいけないことがありますが、本日はここまでといたします。

気の種類とは

ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申します。

本稿では、”気の種類”について述べてみたいと思います。

 

主に、気功で使用する部類の”気の種類”についてになるでしょう。

巷にはあふれるほどの気功の流派が存在します。その中には気功を行う際に、様々な気の種類があるという流派と、一つの気でOKという流派があります。

 

また様々な気を使い分ける流派と、そうでない流派があります。

どちらが正しいまたは理にかなっているのでしょうか?

 

気の種類

気の種類とは何か?についてまずはその分け方を考察してみましょう。

 

例えば単純に良い気、悪い気と分類することもあります。気功業界では悪い気をよく”邪気”といいます。逆に良い気は流派によって様々のようです。”プラスの気”、”精気”などがあります。

 

このような”良い””悪い”の種類わけ以外にも、”先天の気”と呼ばれる本来人間が生まれたときに備わっている根本的な生命をドライブする気と”後天の気”と呼ばれる食物や呼吸で得ることで動作や思考をドライブする気の分け方、また”医療系に関連する気”と”武術系に関連する気”などの分け方など、様々になります。

 

さらにグッと細かい例を出すと、人体の部位ごとに効果がある気もその種類であると言えます。例えば骨、血液、筋肉などそれぞれに医療的効果がある気があります。さらに心の疾患や悲しみ怒りなどの感情の除去に効果があるものなどもあります。このような種類の分け方は医療系の気功流派の一部に存在します。

 

このように、どのレベルで種類分けするかによって異なりますが、気の種類があるわけです。

 

機能を果たす気

前述したように、気には種類があると言うことができます。

 

様々な分け方がありますが、それら全てが”機能ごとに気”で種類分けしていると言えます。

 

気の種類は気の機能を細分化して表していることとほぼ同義と考えられます。

 

分かりやすいのは、骨の治癒に効果がある気、血液に効果がある気、心疾患に有効な気などでしょう。これらはその気の存在目的が明確で、機能を果たすために存在します。

 

また多少抽象的な気の種類分けをした場合でも、その中に機能を持っていることがわかあります。

 

例えば”武術の気”の場合その中に、打たれ強くなる気(中国気功では硬気功と呼ばれることが多いですね)や、相手の動きを察知し先読みに近い洞察力である聴勁のための気、などが存在しています。武術の練度を向上するための(昔であれば戦闘の際に生き残るための)様々な気が内在していると言えます。

根源の気

では、”根源の気”と呼ばれるような、気功の気には種類はなく一つの根源の気があれば良いのだとする流派の場合です。

この根源の気とはとある気功流派の呼び方です。しかし同じような概念を持つ流派は多くあるようです。

 

このような気の疑念を持つ気功の流派は、気を人体に送る際に、病気に対しても精神に対しても、特に区別することなく送るとされています。

 

その流派の中の人が言うには、全ての元となる気なのでわざわざ種類わけをする必要はないとされます。または至高の気なので全て含んでいるのである・・・と。このような考え方は少し前の気功やヒーリングに多い気がしますね。

 

しかしよくよく考えると、その”根源の気”と言われるものに、一定の機能を期待していることがわかります。例えば胃の痛みを治すために胃に”根源の気”を送るとします。

 

この場合、全く何も考えずに胃の場所に送るのではなく、胃の痛みを収めると言う意識があります。すなわち胃の痛みの除去と言う機能を持たせていることと同義です。

 

このように根源の気があったとしても、それを人が何かに送るときには必ずその意図が入ります。そしてそこに機能が生まれてい行きます。

 

機能を持った気を扱う以上、それは(これまで述べてきたように)気の種類はあると言うことになります。

 

邪気はどう考える?

もう一つの問題として最初に挙げた、良い気・悪い気(邪気)についてがあります。

 

一般的に邪気と言えば、人に害を与える気の総称として使われます。特に体の不調に関与していると言われます。肉体的な病気になるときもそうですし、精神病もそうです。

 

また自己の能力が妨げられる場合もそうですし、(少しスピリチュアルですが)運が悪い場合などもその影響を受けているとされています。

 

人にとって(色々と)悪い作用をする(機能を持つ)気のことを邪気と分類している分けです。

 

ここで問題は、この邪気とは誰にとって”悪い気”なのかと言うことこです。

 

良い悪いも極めて相対的であり、だれにとって?はが重要になります。

対象すなわちその気の影響を受ける物(生物無生物問わず)にとってどうなのか?といった視点を持つことになります。

 

気は情報

気はその機能により分類され種類がある(できる)ことを述べてきました。

 

ではなぜ気には様々な機能があり得るのか?と言う問題があります。

 

元々そのよう機能を持った気が太古の昔からあったと考えることもできるかもしれません。

しかしそれでは最近の気功・ヒーリングで生み出され続ける新たな機能を持った気は説明できません。

 

ここで気の本質の一つである、”気は情報である”ことでこの疑問に答えることが出来ます。気は情報または情報の一形態と定義されます。これまでも本ブログ内で、気は情報であると説明してきました。

 

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”気は情報”であれば、その情報の内容によって気の種類が変わっていくのは理解できるでしょう。そして気が持つ機能は、その情報の内容によるものなのです。

 

ちょっと特殊なIKTM流の”気の世界観”

IKTM流(私が修行してきたヒーリングメソッド:I had received the Knowledge and Trained healing Method.)では気の元となるものがあるとされています。これまで述べてきた機能を持った気を生み出す元の存在です。この”元”は古神道の神々とつながった存在であり、この世の全てのもの(実在するもの、あるいは存在するもの)に関連しています。

 

これは絶え間なく降り注ぐ超微粒子(量子的には粒子と言う表現が正しくはないですが)であり、現在発見されている素粒子ニュートリノ等よりもさらに小さいものと予測しています。(現在証明しようがないのでこのような表現になります・・・。)

 

これが物質の中に入ることで、その物質(生物無生物とわず)の意思により、気となって外部に発せられるとしています。この時その発する物(生物無生物とわず)の意志により機能が付加されていきます。

 

以前述べたように、IKTM流の世界観は、全てのものには生命がやどり意志があると言うアニミズムの世界観ですので、このような表現になりますね。

ja.wikipedia.org

いずれにせよ、気は意志が生み出したものであると言う考え方ですね。

これまで述べてきた、”気が機能を持つ”や”気は情報”と言う考え方と奇しくも合致します。

 

ほんじつはここまで

気の種類は機能で分類できて、その正体は情報であることを述べてみました。

IKTM流の古神道的な考え方にも地続きであります。

 

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先祖とお墓と現世利益

ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申します。

本稿では先祖とお墓について述べていきます。

 

内容としては、先祖やお墓をケアすることで、現世の利益を目指すことについて・・・ですね。

ここで言うケアとは物理的に掃除をするとこではなく(それもよいのですが)、あくまで”気”的に(又は霊的に)ケアをすると言う意味です。

 

お墓

IKTM流(私が修行してきたヒーリングメソッド:I had received the Knowledge and Trained healing Method.)ではお墓は門であるとしています。または窓のようなものです。

先祖のお墓に手を合わせるわけですが、その墓石に手を合わせているわけではありません。墓石に先祖の魂や霊的なものが入っているわけではないのです。

 

そのお墓を門として、あの世の先祖たちと繋がるためのものとされています。先祖のことを想うだけであればお墓は不要のはずですが、実際のものがあり対象を作ることで、より先祖へ想いを届けやすくなります。

 

お墓をといえば沖縄です。沖縄のお墓は独特です。そしてお墓を大事にしていることがわかります。

hakken-japan.com

いずれにしてもお墓を通して、先祖(の霊)へアクセスしているわけです。

では、なぜ私たちは先祖にアクセスしようとするのか?です。

 

純粋に先祖のため? 先祖の鎮魂を願って?

もちろんそう言う気持ちも少なからずあるでしょう。

しかし・・・・

何かしらのお願いをしていませんか? 自分の決意を表明していませんか?

下記WIKIには、”先祖から何らかのものを貰えるという信仰”とあります。

ja.wikipedia.org

 

神様と先祖の違い

お墓に、先祖にお願いをするのと、神様(?)にお願いする場合と何が違うのでしょう?

神社の神様に祈るように、ご先祖様にも「家族の健康を守ってください」「病気を治してください」「試験に合格させてください」と思っている人も多いのではないでしょうか?

 

しかし神社の神様に祈る場合とお墓(先祖)に祈る場合では、微妙に言葉が違くなる感じがします。

健康をお願いする場合、神社では「健康でありますように」などで、お墓(先祖)の場合は「健康を守ってください」となるのではないでしょうか?(もちろんその人の思想信条宗教でことなりますが)

 

先祖は神様より身近な感じがして、頼みやすい感じでしょう。写真や家系図や実際に聞いたことなどがあり、親近感があります。もちろん血のつながりを感じることでより一層そう想うことでしょう。

 

先祖は親戚であり、祖父母につながるルーツです。そんな方達に無邪気にお願いをしていると考えてもいいでしょう。子供の頃おじいちゃんおばあちゃんにお願いしていたように・・・・。

 

逆に神様は遠い存在でいくばくかの畏怖もあり、その感覚がお願いの仕方の違いになっているのでしょう。(ここでの神様の定義が非常に曖昧ですが、ここでは神道に近い日本的な・・・と思っていだければと思います。)

 

なぜお墓・先祖が現世利益となるか?

では親近感がある先祖にお願い=現世利益を自分に持ってこれるのか?と言うことになります。

(神様へのお願いのお作法はまた別途・・・。)

 

ここで重要なファクター・考え方があります。

”隠宅風水”と先祖と自分の”縁と関与”です。

 

陰宅風水

陰宅とはお墓のことです。

ja.wikipedia.org

(初めて陰宅風水を知ったのは高藤聡一郎氏の風水の本でした。発売日に購入した日が懐かしい・・・)

 

風水として、良い気の場所(龍穴など)にお墓を建てることで、お墓=祖先に良い気を届けるのです。

 

良い気をお墓にあてがう → お墓の気の状態が良くなる → 門を通して良い気が届き → 先祖が良くなる → そしてそれに連なる子孫たる我々も良くなっていくと言う論法です。

(色々簡略化した結果を記してますので、他流派の方は異論があるかもですがご容赦を。)

 

この考えからすると、お墓を物理的に掃除などを欠かさず綺麗にしても、決して悪くないですね。ただし日本にはお墓=死=穢れと連想されるため、一般的にはお墓にはポジティブなイメージがないかもしれません。

 

縁と関与

先祖に良い気を届けると、なぜ子孫の我々に利益がくるのでしょうか?

 

簡単に言うと、先祖と子孫はつながる縁があるからです。

 

我々一人ひとりは縁があることで存在しています。様々な有形無形の繋がりがあり、自分は自分として形作られ、自分を自分と認識しています。

 

またこの縁はそれぞれが物理的、気的、スピリチュアル的(?)に関与することを表しています。縁と関与は時間と場所の制限を受けません。過去にも未来にもつながるものです。

 

先祖の中でも縁の深い人もいれば、そうでもない人もいます。自分が知らないだけで実は自分が存在するためには重要な縁を持っている人もいるかも知れません。

 

この先祖に繋がる縁があるため、その縁(繋がり、関与)を辿って、お墓の良い気が先祖に届きます。

その関与深い縁を持つ先祖に気を届け、その先祖の状態が良くなればよいのです。

 

この一連の気を届ける行為の解釈は、ドライに(?)縁の修復ととっても良いですし、先祖に施しを行いその見返りを得ると思っても良いでしょう。先祖が意識を持っているなら、気を受けて状態が良くなったら決して悪い気はしないでしょう?

 

先祖の存在

これまで当たり前のように、”先祖に気を送る”と書きました。

 

先祖は実際に存在したはずですが(貴方が生きていると言うことはそう言うこと)、基本的に亡くなっている方がほとんどのはずです。生きている祖父母(もちろん先祖です)に気を送るならわかりますが、いない人に気をお送るとはどう言うことか?となります。

 

ここでこの曖昧な”先祖”をある程度私流に定義して起きます。

 

一つの考え方として、”情報的に存在する”と考えると良いでしょう。情報ですので、あなたの脳と心中にあるはずです。たとえ表層の記憶がなくても必ずその情報は存在するはずです。

 

もう一つの考え方として(これはIKTM流の考え方ですが)、先祖霊として存在すると言うものです。先祖霊という考え方は、日本では非常に一般的です。憑依霊などと言われる一般的に(?)心霊現象(?)を起こすような霊とは異なり、ある程度肯定的に受け入れられている概念かと思います。いずれにせよIKTM流では、その先祖霊をそれぞれ一人の”人”として考えるていくのです。

 

お墓・先祖に気を送る

お墓に手を合わせることで、多少は先ほどのルートで先祖に気を送っていることになりますが、もっと積極的に大量に気を送りたいわけです。またその送る気もその先祖にとって良いもの(状態をよくするもの又は喜ぶもの)でなくてはいけません。現世利益が欲しいので。

 

方法論としての方向性はこれまでの説明から二つになります。一つの方法はお墓の気を良くすること、もう一つの方法は先祖に直接気を送ることになります。いずれも先祖に良い気を送ることです。

 

簡単に紹介していきます。

 

お墓の気の場を整える

これはお墓を良い気で覆うイメージです。

 

風水ではよい気が出る土地にお墓を移動したり、お墓自体の作りを変えたりするのですが、なかなかそれもできないので、そのもう一つの手段として実施します。(本来の風水では山の連なりや形、その他の地形などから良い気の流れ(龍脈)を割り出したりします。)

 

風水的に良い気をお墓に、気功的に(情報操作的に)持ってくればよいのです。(言うのは簡単ですが・・・)

 

この風水的に良い気とは、龍穴や龍脈とよばれるものです。世の中の様々な気功、霊術ではその気(または類する気)をとらえ(臨場感を持ち)活用する技術があります。

(この辺は巷にあふれるインテリア風水とは一味違うところではります。)

 

先祖に気を送る

これは先祖を呼び出し(または気の玉の形で持ってくる)、その人(の霊、又は情報的気の玉)に気を入れてあげればよいわけです。

 

ただしこの時注意すべきは、存在したことが分かっている先祖と把握しきれない先祖がいるということです。また直接血はつながってはいないが、一緒に過ごし深い縁がある方もいたことでしょう、ということです。

 

この点を考慮すると、方法としては、”〇代前の先祖”とひとくくりにして呼び出して、そこに気を送る方法があります。

 

もちろん確実にわかっている範囲の個人個人を順番に行ってもよいでしょう。

 

ここからはIKTM流の考え方なのですが・・・、先祖を先祖霊として、人として扱います。そしてその先祖に良い気を送るわけです。これはその先祖霊にとっては大変うれしい行為です。しかし先に述べたように、すべての先祖霊を個別に把握できない場合があります。すると中には「あの人はやってもらって、私はやってもらっていない。ずるい。」と感じる方(先祖霊)が出てしまうことがあるということです。

 

この場合、その先祖霊は我々に良い結果をもたらさない可能性があります。

我々の目的は現世利益ですから、こういった状況はなるべく避けたいわけです。

 

ですので、先祖(霊)に気を送る時は、なるべく公平にするか、その人が納得する形で気を送る必要がある。としています。(生きている人に接するのと同じですね。)

 

ほんじつはここまで

前述した先祖や風水のための気功(眼に見えない)技術は、認知科学式の気功にもIKTM流にも多くあります。

 

気功の技術して行うこともできるし、スピリチュアルや信仰に近い領域で実践することもできる世界です。

 

どちらでも良いのですが、活用する方がどちらの方が好きか?臨場感があるか?で判断されればよいかと考えています。

 

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アジュナチャクラの光について 後半

ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申します。

本稿は前回の続きになります。検索で来た方は下記リンクを見てからでお願いします。

 

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私の場合

私の道程を紹介します。全ての人がこうなるわけではありませんので念のため。また最初からはっきりと見えたわけではなく、最初は本当にはっきりしない(眼閃が見えたかどうかも怪しい)状態からのスタートでした。

STEP1:眼閃(丹光)があることを知る

学生のころから目を閉じるとゆらゆらと動く光がみえることは認識していました。ただしそれは視神経が刺激されることによるものだと理解していました。

 

しかし私の気功実践のきっかけである高藤聡一郎氏の仙道関連の本を読んだところ、それは丹光でありその光は意識でコントロール可能であるとの記述を発見。神秘行へのあこがれから目を閉じて瞼の裏の光を追いかけることはよくやっていました。”その3”の方法ですね。この段階ではアジュナチャクラの光を見る意識はあまりありませんでした。この段階では強い光や明るいと感じるようなことはありません。またその丹光も安定していません。

 

STEP2:瞼を通った光を見てその気になる

STEP1からだいぶ間を開けてになるのですが、認知科学式気功の師匠からアジュナの光は共感覚のひかりであることを学びます。目を閉じた状態で瞼を通して見える(感じる光)を当たり前だと思わずに、その光が呼び水になる又は、アジュナの光そのものだと思い込んで訓練するようにしてみました。

 

手のひらの触覚共感覚を訓練する際に気の玉を作ります。その際に実際に物を触ってその感覚を覚えておき、気の玉(実在しない情報的もの)を感じる訓練をする方法と似ています。同じ共感覚であればこその練習方法とも言えます。

 

練習方法その1とその2をことあるごとに行っていました。長時間ではなく短時間でちょこちょこと。仕事中でも悩むふりをしてその2の方法を実践してみたり・・・・。

 

STEP3:突発的に明るさを感じるようになる

しばらくすると、夜中寝ているときにほぼ真っ暗なはずなのに(瞼を透けて入る光はない状態)、左目の下半分だけ一瞬強く明るくなることがありました。

師匠から予測されていた現象でしたので驚きはしませんでしたが、とても奇妙な感覚です。そして光る場所がアジュナの額方向(上部方向)ではなく下方向であったことも驚き(ちょっとがっかり)でしたね。

 

このころはすでにその1の練習方法メインとなっています。常時明るいわけではなく、ごくごくまれに明るくなるだけの状態です。ただし瞼の裏の眼閃はほぼ見える状態になってきました。

 

STEP4:その他の共感覚と相互補完していく

上記STEP時のころから、気の玉の感覚がよりリアルになってきました。これは光の共感覚を鍛えることで、その他の共感覚が研ぎ澄まされていったと理解しています。

 

また逆に、その他の共感覚を感じる練習(この場合気功を行った結果の体の感覚の変化を感じようとすること)を行っていると、眼閃(丹光)がより感じられることを認識しました。

 

アジュナの光も共感覚であるので他の共感覚と連動しているのです。

 

STEP5:意識すれば光を感じる

最初は瞼を通して入ってきた光とわざと混同させていたのですが、真っ暗な場所でも同じように光を感じるようになりました。目を閉じて光を感じた時に、手で外部の光源を遮っても同じように光が見える状態です。

 

特にその1の方法でアジュナチャクラに意識を向けると、視界(眼は閉じてますが)の上部が明るく感じます。また眼閃のもやもやがランダムな動きをする状態から、その光がまとまっていくようなことがおおくなっています。

現在この状態から少し先に行ったところです。

 

気を付けるべきこと

一言で言うと、”やりすぎない”ことです。

 

アジュナチャクラの光を見る訓練はとても楽しいです。ついつい目をとじてそればっかりしてしまいます。様々な情報(本やインターネット)にあふれるアジュナチャクラの神秘性やスピリチュアル性ゆえに、なにかがおこるかも・・・といった期待があるとなおさらです。

 

この光を見る練習は一種の瞑想状態になっています。このとき心に浮かんだ様々な事柄がヴィジョンとして”本当に見えた”ように感じたり強い神秘体験をすることがあります。

 

私もふいに道路に設置された看板が見えた(なぜか白黒)ことや、宇宙人(?)のようなものが見えた気がしたことがあります。いずれも意味のないことです。

 

これらのこれにとらわれ、追い求めることはよいことではありません。いわゆる”魔境”の境地に近いといえます。意味のないことにとらわれて、時間を無駄にしてしまいます。また禅病と言われる体の不調や幻覚(そういう意味では私は危なかった。師匠についていない前述したSTEP1の時でした。)が現れる可能性もあります。

 

私たちは共感覚で光をみている(のにすぎない)のです。

 

大事なことは

アジュナチャクラの光を見ることが目的ではないはずです。

 

この光そのものの活用方法はありません(たぶん)。夜道を照らしてはくれません。光が見えたのは共感覚が鍛えられた結果に過ぎないと考えてください。情報的存在であるチャクラが活性化したととらえてもよいかもしれません。(活性化の定義があいまいかもしれませんが)

 

チャクラの開発の目的は何か?を考えてください。(本当は最初から考えるべきですが、なかなかそのような人はいないのが実情)

 

そのチャクラで共感覚で何をするのか?です。その結果どうなりたいのか?です。

ネット上にはあれこれ書いてあるけど・・・。都合の良いことばかり書いているけど・・・・。人によって、サイトによって、本によって微妙に言うことが違ったりしませんか?

 

たしかにスプーン曲げや味の変更(すっぱみを抜くとか)がやりやすくなることもありますが、だから何?なのです。そんなものはすぐに飽きてしまうでしょう。

 

自分のやりたいこと・なりたい自分・ゴールによって必要な、開発されるべき能力の素地ができたと考えると良いと思います。

 

私の場合、病気施術のための気感強化やIKTM流の霊視強化のためのオーラ視などの習得がしたかったのです。その訓練のプロセスの一つにアジュナチャクラの光があり、その結果、光の共感覚→その他の共感覚強化→気感強化とオーラ視の強化、とつながっていったと感じています。

 

共感覚強化が直接の目的でなくても、気功の上達が目的であれば必要な共感覚が鍛えられてゆくでしょう。気功が格段にやりやすくなります。

 

気功が目的でなくとも、共感覚の強化による洞察力向上やIQの向上による目的達成のサポートは期待できるかもしれません。

 

いずれせよ、光を見ることが目的ではなく、開発された共感覚(さらにはチャクラの活性化も入れてもOK)により、自分の目的達成のためのツールや素地になっていくはずです。

 

逆に目的が全くないと、単に光が見えておしまいです。ある意味もったいないですね。

 

ほんじつはここまで

アジュナチャクラの光について、自分の体験談も交えて記してみました。

誇張をしていない分、巷に多くいる覚醒者(?)に比べるとずいぶんしょぼい状態かもしれませんね(笑)。

 

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