伝統と科学で目に見えない技術を考えるブログ

ヒーリングとスピリチュアルと時々雑談

師匠の死と認知科学式への挑戦(思い出話2/2)

ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sと申します。

本稿では前回の続きで、私(ブログ主)のヒーリングメソッドの師匠の死から認知科学式を導入するまでの経緯を記したいと思います。長いです。すみません。

 

その時は突然やってきた

別れは突然やってきます。のほほんと修業ライフを過ごしていたのですが、その時はやってきました。

冬のある日、師匠が倒れたとの知らせを受けました。そしてしばらくして亡くなったのです。亡くなった知らせを受けたのは夜。雪が降っていました。私がいたその地域にしてはとても珍しく雪が降っておりました。

倒れた知らせを受けた時から覚悟はしておりました。しかし心のどこかで奇跡的な復活を期待していました。しかしその期待はかなう事はありませんでした。

最後に師匠にお会いしたのは倒れる2週間前でした。普段と変わらない様子でした。いや、今思うと体調不良の兆しはあったのです。その時自己ヒーリングや現代医学の治療を受けてさえいればと後悔しています。師匠は他人にヒーリングされることを嫌っておりました。しかし現代医学に関しては受け入れていました。もっと強く病院に行くように進言していれば、師匠は死なずに済んだかもしれないと。

道場再開に向けて

亡くなった知らせが来たときには、すでに近親者のみで葬儀がなされた後とのことでした。葬儀に参加したかったのですが、全国の弟子達が集まることになりますので、それは仕方がない事だったのでしょう。後日その葬儀に参加された幼馴染の方に様子をうかがったりしました。

そしてすぐに道場の再開が宣言されました。実は各地にある道場は師匠がいない間、修業がまともに出来ない状態のため、経営的に苦しい状態だったようです。その解消のためにも次の行動は早かったのです。すでに次に向けて動き始め、どのように師匠のヒーリングメソッドやスピリチュアル技術の修行を続けていくかに焦点が合わされていたように感じました。

しかし師匠の死の詳細が説明されないまま、そしてお別れをする機会も与えられないまま道場の再開がなされることに、私は違和感があったのです。

せめてゆっくりとお別れを言う機会が欲しかったのです。

もちろん、師匠から教わった、死ぬことや魂がどうなるのかについてを思えば、葬儀やお別れなどを言うことはあまり意味のない事だと分かってはいたのですがね。それでも・・・です。

代替わり

道場の再開を宣言したのは師匠のご子息でした。まだお若いですが朗らかで誠実な印象です。顔は師匠に似ています。一刻も早く道場の体制を立て直したいとの一心で現在の職を辞め、道場での指導に専念するとのことでした。

実は以前より師匠からご子息に対して、後を継ぐべく特別な指導をしていることは聴いておりました。ただし本格的な指導は師匠が亡くなる数年前からなので、技のすべてを伝えきれたかというと、師匠の生前の話から想像するとそうはいかなかったようですが。

初のご子息の道場での指導では、クタクタになりながらも一生懸命行っていました。入会歴が長い私も微力ながらお手伝いをいたしました。

しかし・・・しかし、当然ですが師匠とは違います。

お暇をもらおう

私がこの道場で修業し続ける理由はなんだろう?自問自答しました。正直に言うと、惰性の部分があったのもの否めません。いつしか師匠がいて当たり前の感覚に陥っていたのです。そして私は他の弟子たちのようにヒーリングで開業して、生活いるわけでもありません。

これも節目だと思いました。

今後は自分自身で修業&ヒーリング&スピリチュアルライフを送ろう。指導者がいないスピリチュアルは危険が伴うかもしれない事は分かっていますが、何とかなるだろう。

根拠はないけど。

そしてなにより私の師匠はただ一人。

お暇をもらうことにしました。

最低限のお手伝いやカリキュラムの作成をサポートした後、御子息に挨拶をして、道場を去りました。ちょっとだけ涙が出ましたよ。

やっぱり悪いうわさが

ちょっとした後日談です。

師匠が倒れてから亡くなるまでの間、他の弟子たちに連絡を取ろうとしたのですが、どういうわけか連絡が取れませんでした。どうやら、私が師匠がいない間によからぬ悪だくみをしているという噂を流されていたようです。辞めた後もさらに裏切り者扱いで、ひどいことを言われているようです。まぁ誰が言い出したかは大体わかるのですが。どこの世界にも噂話と他人を蹴落としたい人はいるものです。それにつけても自分の人望の無さが恥ずかしい限りです。

しかし当時はあまり腹も立たなかったのですが、思い出しながら本項を書いていると腹が立ってきたぞ?

環境の移り変わりに思う事

私が道場の門をたたいてから20年以上がたちました。今は入会した当時に比べてヒーリングやスピリチュアルの情報はたやすく手に入ります。特にネットの世界には非常に多くの情報があふれています。しかし本当の大切な事やコアな部分はネットには無いと断言できます。自分の本当の心、信じている神的存在との共生心、スピリチュアルの負の部分、利己的な欲望などは、ネット上のヒーラーやスピリチュアリストの発言からは読み取れません。

私の20年間の拙い経験からですが、美辞麗句を並べるヒーラーやスピリチュアルリストは注意が必要と言えます。額面通りに受け取ってはいけないという意味です。ヒーラーもスピリチュアリストも普通の人間です。聖人と勝手に思い込むのは危険です。

様々なヒーリングの流派とスピリチュアル的な技法が巷にあふれるようになりました。昔はこの手の人種は中年から老年の人というのが多かったのですが、最近では若くしてヒーリングやスピリチュアルで生活費を得ている人も多いようです。目に見えないことを扱う仕事に不安は有るはずですが、彼らのセールストークからは本当の心は読み取れません。

時代が変わったのか?私が年を取ったのか?

いや、若者を羨んですねているだけですね。私。

さぁどうする?

私は道場を後にしましたが、ヒーリングとスピリチュアルの実践は続ける事を考えています。もちろん師匠から教わったことは生かします。自分と家族に対するヒーリングとスピリチュアル技法による問題の解決に積極的に使っていく予定です。

ここで、自分自身に問いかけました。

いつか自分と家族以外への施しを行うのか?

この技術を自分の中で眠らせたような状態で良いのか?

さらなる探究へ

師匠から教わったヒーリングメソッドとスピリチュアル体系は素晴らしいと思っています。しかしまだまだ分からないことが多いのも事実です。

自由に探求をしたい。さらなる深淵を見てみたい。

そしていずれこの技術を自身のものとし、子供たちにも伝えていきたい。生きる上でのツールとして使ってもらいたい。

今の私のレベルは、技術を使うことはできても他人を導くことができる状態ではないの自覚しています。20年も修行してきてこの体たらくです。情けない。しかもこの状態を抜け出すための方法は在りし日の師匠からは具体的な方法論は伝授されておりません。しかし師匠は以前こう言っていました。

「今は道場の人たちと助けあいながら活動しているけど、いずれ一人で活動することになるんだよ。」

この言葉を聞いたときあまり深く考えませんでした。まぁいつかはそうなるでしょうよ・・・ぐらいの感覚でした。

今がその時なのだと思います。

探求を続けよう。

必要なこと

自分で探求を続けるとなると、関連する文献を調べたり、師匠の言葉やわかっている情報から関連する事柄を調べたりすることがとりあえずのメイン作業となっていきます。知識の補完が必要だからです。

しかしこれだけではすぐに行き詰るはずです。自分が行っている技術があっているのか?間違っているのか?を確認する方法が必要です。技術があっているとは、①効果があるか②副作用がないか、です。この二つがあって初めて「その技術は正しい」と言えます。それを確認する方法は二つあると思います。

一つは”検証”です。自分が行った技術が効果があるか?そしてよからぬ副作用はないか?実際に試してみて確認する必要があります。インプットとアウトプットとフィードバックですね。

そしてもう一つは”理論”です。私には霊感の類はありません。これまで霊感は不要な技術体系の中で修行していました。これは大きな利点でもありました。(霊的なものに騙されない、惑わされない)よって霊感もどきの感覚や思い込みで技術を組みたてても遠回りをしてしまう可能性が大きいです(そして危ない)。それを回避するためには理論があることが求められます。師匠の理論は表面上ロジカルなのですが、コアの部分で宗教的バックボーンに行きつきます。(古神道的世界観と神との対話によるコア技術の創出)ですので師匠と同じプロセスで技術を磨こうとすると強烈な霊感が必要になります。私にはないものです。

新しい理論との融合が必須であることに気が付きます。

新たな出会い

そんな折、インターネットでヒーリングや気功について調べていると、ある流れがあることに気が付きます。キーワードは「内部表現の書き換え」でした。このキーワードを使った気功技術を売りにしたヒーラーたちが多くいることに気が付きます。いくつかのベースとなる技術を”超情報場仮説”で統合して研鑽している内容でした。公開している技術の内容が恐ろしいくらい私がこれまで修行してきたものと類似性があります。

”超情報場仮説”とはなんだ?俄然興味が出てきます。この”超情報場仮説”について調べるていくと、認知科学者の苫米地英人氏が提唱している理論だとわかります。そして苫米地氏の本を大量に読んでいきます。しかし超情報場仮説に関する直接の情報は非常に少ないのです(間接的には大量にあるのですが)。

そこで数多ある内部表現の書き換えを表するヒーラーたちの誰かから、教えを請いたいと考えるようになります。ではだれにしようか・・・・。

そして今現在の先生に教えを乞うています。ポイントは、有能なのは当然として、若くて勢いがある人・・・でした。もう師匠が死んでしまうのは嫌なので。

認知科学式技術へ

理論と新たな技術を求めて認知科学式を学び始めたわけですが、やはりこちらも奥深い。まだ片鱗しか理解していませんが、これまでの師匠の技術の理論を再構築できるものと確信しています。

まずはある程度認知科学式技術を使えるようになろう。まずは手と体を動かそう。余裕があれば同時に考えていこうぐらいで。

そして師匠のスピリチュアルのなバックボーンに深入りするのはやめよう。派生する技術として捉え、あくまで技術を理論で追いかけよう。

などと思っております。(スピリチュアルの話は紹介はしていくつもりです。備忘録として。)

本稿の最後に

前回から引き続きずいぶん長い告白になってしまいました。ここまで読んでいただける人はいるのであろうか・・・。なんせひどい独りよがりですからねぇ。ブログじゃなくて自分の紙の日記に書けよって感じですね。

まぁ、こういう話は以後控えます。でもすっきりしたり。

信じるか信じないかはあなた次第です!It's up to you whether you believe or not !