気の種類とは
ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申します。
本稿では、”気の種類”について述べてみたいと思います。
主に、気功で使用する部類の”気の種類”についてになるでしょう。
巷にはあふれるほどの気功の流派が存在します。その中には気功を行う際に、様々な気の種類があるという流派と、一つの気でOKという流派があります。
また様々な気を使い分ける流派と、そうでない流派があります。
どちらが正しいまたは理にかなっているのでしょうか?
気の種類
気の種類とは何か?についてまずはその分け方を考察してみましょう。
例えば単純に良い気、悪い気と分類することもあります。気功業界では悪い気をよく”邪気”といいます。逆に良い気は流派によって様々のようです。”プラスの気”、”精気”などがあります。
このような”良い””悪い”の種類わけ以外にも、”先天の気”と呼ばれる本来人間が生まれたときに備わっている根本的な生命をドライブする気と”後天の気”と呼ばれる食物や呼吸で得ることで動作や思考をドライブする気の分け方、また”医療系に関連する気”と”武術系に関連する気”などの分け方など、様々になります。
さらにグッと細かい例を出すと、人体の部位ごとに効果がある気もその種類であると言えます。例えば骨、血液、筋肉などそれぞれに医療的効果がある気があります。さらに心の疾患や悲しみ怒りなどの感情の除去に効果があるものなどもあります。このような種類の分け方は医療系の気功流派の一部に存在します。
このように、どのレベルで種類分けするかによって異なりますが、気の種類があるわけです。
機能を果たす気
前述したように、気には種類があると言うことができます。
様々な分け方がありますが、それら全てが”機能ごとに気”で種類分けしていると言えます。
気の種類は気の機能を細分化して表していることとほぼ同義と考えられます。
分かりやすいのは、骨の治癒に効果がある気、血液に効果がある気、心疾患に有効な気などでしょう。これらはその気の存在目的が明確で、機能を果たすために存在します。
また多少抽象的な気の種類分けをした場合でも、その中に機能を持っていることがわかあります。
例えば”武術の気”の場合その中に、打たれ強くなる気(中国気功では硬気功と呼ばれることが多いですね)や、相手の動きを察知し先読みに近い洞察力である聴勁のための気、などが存在しています。武術の練度を向上するための(昔であれば戦闘の際に生き残るための)様々な気が内在していると言えます。
根源の気
では、”根源の気”と呼ばれるような、気功の気には種類はなく一つの根源の気があれば良いのだとする流派の場合です。
この根源の気とはとある気功流派の呼び方です。しかし同じような概念を持つ流派は多くあるようです。
このような気の疑念を持つ気功の流派は、気を人体に送る際に、病気に対しても精神に対しても、特に区別することなく送るとされています。
その流派の中の人が言うには、全ての元となる気なのでわざわざ種類わけをする必要はないとされます。または至高の気なので全て含んでいるのである・・・と。このような考え方は少し前の気功やヒーリングに多い気がしますね。
しかしよくよく考えると、その”根源の気”と言われるものに、一定の機能を期待していることがわかります。例えば胃の痛みを治すために胃に”根源の気”を送るとします。
この場合、全く何も考えずに胃の場所に送るのではなく、胃の痛みを収めると言う意識があります。すなわち胃の痛みの除去と言う機能を持たせていることと同義です。
このように根源の気があったとしても、それを人が何かに送るときには必ずその意図が入ります。そしてそこに機能が生まれてい行きます。
機能を持った気を扱う以上、それは(これまで述べてきたように)気の種類はあると言うことになります。
邪気はどう考える?
もう一つの問題として最初に挙げた、良い気・悪い気(邪気)についてがあります。
一般的に邪気と言えば、人に害を与える気の総称として使われます。特に体の不調に関与していると言われます。肉体的な病気になるときもそうですし、精神病もそうです。
また自己の能力が妨げられる場合もそうですし、(少しスピリチュアルですが)運が悪い場合などもその影響を受けているとされています。
人にとって(色々と)悪い作用をする(機能を持つ)気のことを邪気と分類している分けです。
ここで問題は、この邪気とは誰にとって”悪い気”なのかと言うことこです。
良い悪いも極めて相対的であり、だれにとって?はが重要になります。
対象すなわちその気の影響を受ける物(生物無生物問わず)にとってどうなのか?といった視点を持つことになります。
気は情報
気はその機能により分類され種類がある(できる)ことを述べてきました。
ではなぜ気には様々な機能があり得るのか?と言う問題があります。
元々そのよう機能を持った気が太古の昔からあったと考えることもできるかもしれません。
しかしそれでは最近の気功・ヒーリングで生み出され続ける新たな機能を持った気は説明できません。
ここで気の本質の一つである、”気は情報である”ことでこの疑問に答えることが出来ます。気は情報または情報の一形態と定義されます。これまでも本ブログ内で、気は情報であると説明してきました。
”気は情報”であれば、その情報の内容によって気の種類が変わっていくのは理解できるでしょう。そして気が持つ機能は、その情報の内容によるものなのです。
ちょっと特殊なIKTM流の”気の世界観”
IKTM流(私が修行してきたヒーリングメソッド:I had received the Knowledge and Trained healing Method.)では気の元となるものがあるとされています。これまで述べてきた機能を持った気を生み出す元の存在です。この”元”は古神道の神々とつながった存在であり、この世の全てのもの(実在するもの、あるいは存在するもの)に関連しています。
これは絶え間なく降り注ぐ超微粒子(量子的には粒子と言う表現が正しくはないですが)であり、現在発見されている素粒子ニュートリノ等よりもさらに小さいものと予測しています。(現在証明しようがないのでこのような表現になります・・・。)
これが物質の中に入ることで、その物質(生物無生物とわず)の意思により、気となって外部に発せられるとしています。この時その発する物(生物無生物とわず)の意志により機能が付加されていきます。
以前述べたように、IKTM流の世界観は、全てのものには生命がやどり意志があると言うアニミズムの世界観ですので、このような表現になりますね。
いずれにせよ、気は意志が生み出したものであると言う考え方ですね。
これまで述べてきた、”気が機能を持つ”や”気は情報”と言う考え方と奇しくも合致します。
ほんじつはここまで
気の種類は機能で分類できて、その正体は情報であることを述べてみました。
IKTM流の古神道的な考え方にも地続きであります。