先祖とお墓と現世利益
ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申します。
本稿では先祖とお墓について述べていきます。
内容としては、先祖やお墓をケアすることで、現世の利益を目指すことについて・・・ですね。
ここで言うケアとは物理的に掃除をするとこではなく(それもよいのですが)、あくまで”気”的に(又は霊的に)ケアをすると言う意味です。
お墓
IKTM流(私が修行してきたヒーリングメソッド:I had received the Knowledge and Trained healing Method.)ではお墓は門であるとしています。または窓のようなものです。
先祖のお墓に手を合わせるわけですが、その墓石に手を合わせているわけではありません。墓石に先祖の魂や霊的なものが入っているわけではないのです。
そのお墓を門として、あの世の先祖たちと繋がるためのものとされています。先祖のことを想うだけであればお墓は不要のはずですが、実際のものがあり対象を作ることで、より先祖へ想いを届けやすくなります。
お墓をといえば沖縄です。沖縄のお墓は独特です。そしてお墓を大事にしていることがわかります。
いずれにしてもお墓を通して、先祖(の霊)へアクセスしているわけです。
では、なぜ私たちは先祖にアクセスしようとするのか?です。
純粋に先祖のため? 先祖の鎮魂を願って?
もちろんそう言う気持ちも少なからずあるでしょう。
しかし・・・・
何かしらのお願いをしていませんか? 自分の決意を表明していませんか?
下記WIKIには、”先祖から何らかのものを貰えるという信仰”とあります。
神様と先祖の違い
お墓に、先祖にお願いをするのと、神様(?)にお願いする場合と何が違うのでしょう?
神社の神様に祈るように、ご先祖様にも「家族の健康を守ってください」「病気を治してください」「試験に合格させてください」と思っている人も多いのではないでしょうか?
しかし神社の神様に祈る場合とお墓(先祖)に祈る場合では、微妙に言葉が違くなる感じがします。
健康をお願いする場合、神社では「健康でありますように」などで、お墓(先祖)の場合は「健康を守ってください」となるのではないでしょうか?(もちろんその人の思想信条宗教でことなりますが)
先祖は神様より身近な感じがして、頼みやすい感じでしょう。写真や家系図や実際に聞いたことなどがあり、親近感があります。もちろん血のつながりを感じることでより一層そう想うことでしょう。
先祖は親戚であり、祖父母につながるルーツです。そんな方達に無邪気にお願いをしていると考えてもいいでしょう。子供の頃おじいちゃんおばあちゃんにお願いしていたように・・・・。
逆に神様は遠い存在でいくばくかの畏怖もあり、その感覚がお願いの仕方の違いになっているのでしょう。(ここでの神様の定義が非常に曖昧ですが、ここでは神道に近い日本的な・・・と思っていだければと思います。)
なぜお墓・先祖が現世利益となるか?
では親近感がある先祖にお願い=現世利益を自分に持ってこれるのか?と言うことになります。
(神様へのお願いのお作法はまた別途・・・。)
ここで重要なファクター・考え方があります。
”隠宅風水”と先祖と自分の”縁と関与”です。
陰宅風水
陰宅とはお墓のことです。
(初めて陰宅風水を知ったのは高藤聡一郎氏の風水の本でした。発売日に購入した日が懐かしい・・・)
風水として、良い気の場所(龍穴など)にお墓を建てることで、お墓=祖先に良い気を届けるのです。
良い気をお墓にあてがう → お墓の気の状態が良くなる → 門を通して良い気が届き → 先祖が良くなる → そしてそれに連なる子孫たる我々も良くなっていくと言う論法です。
(色々簡略化した結果を記してますので、他流派の方は異論があるかもですがご容赦を。)
この考えからすると、お墓を物理的に掃除などを欠かさず綺麗にしても、決して悪くないですね。ただし日本にはお墓=死=穢れと連想されるため、一般的にはお墓にはポジティブなイメージがないかもしれません。
縁と関与
先祖に良い気を届けると、なぜ子孫の我々に利益がくるのでしょうか?
簡単に言うと、先祖と子孫はつながる縁があるからです。
我々一人ひとりは縁があることで存在しています。様々な有形無形の繋がりがあり、自分は自分として形作られ、自分を自分と認識しています。
またこの縁はそれぞれが物理的、気的、スピリチュアル的(?)に関与することを表しています。縁と関与は時間と場所の制限を受けません。過去にも未来にもつながるものです。
先祖の中でも縁の深い人もいれば、そうでもない人もいます。自分が知らないだけで実は自分が存在するためには重要な縁を持っている人もいるかも知れません。
この先祖に繋がる縁があるため、その縁(繋がり、関与)を辿って、お墓の良い気が先祖に届きます。
その関与深い縁を持つ先祖に気を届け、その先祖の状態が良くなればよいのです。
この一連の気を届ける行為の解釈は、ドライに(?)縁の修復ととっても良いですし、先祖に施しを行いその見返りを得ると思っても良いでしょう。先祖が意識を持っているなら、気を受けて状態が良くなったら決して悪い気はしないでしょう?
先祖の存在
これまで当たり前のように、”先祖に気を送る”と書きました。
先祖は実際に存在したはずですが(貴方が生きていると言うことはそう言うこと)、基本的に亡くなっている方がほとんどのはずです。生きている祖父母(もちろん先祖です)に気を送るならわかりますが、いない人に気をお送るとはどう言うことか?となります。
ここでこの曖昧な”先祖”をある程度私流に定義して起きます。
一つの考え方として、”情報的に存在する”と考えると良いでしょう。情報ですので、あなたの脳と心中にあるはずです。たとえ表層の記憶がなくても必ずその情報は存在するはずです。
もう一つの考え方として(これはIKTM流の考え方ですが)、先祖霊として存在すると言うものです。先祖霊という考え方は、日本では非常に一般的です。憑依霊などと言われる一般的に(?)心霊現象(?)を起こすような霊とは異なり、ある程度肯定的に受け入れられている概念かと思います。いずれにせよIKTM流では、その先祖霊をそれぞれ一人の”人”として考えるていくのです。
お墓・先祖に気を送る
お墓に手を合わせることで、多少は先ほどのルートで先祖に気を送っていることになりますが、もっと積極的に大量に気を送りたいわけです。またその送る気もその先祖にとって良いもの(状態をよくするもの又は喜ぶもの)でなくてはいけません。現世利益が欲しいので。
方法論としての方向性はこれまでの説明から二つになります。一つの方法はお墓の気を良くすること、もう一つの方法は先祖に直接気を送ることになります。いずれも先祖に良い気を送ることです。
簡単に紹介していきます。
お墓の気の場を整える
これはお墓を良い気で覆うイメージです。
風水ではよい気が出る土地にお墓を移動したり、お墓自体の作りを変えたりするのですが、なかなかそれもできないので、そのもう一つの手段として実施します。(本来の風水では山の連なりや形、その他の地形などから良い気の流れ(龍脈)を割り出したりします。)
風水的に良い気をお墓に、気功的に(情報操作的に)持ってくればよいのです。(言うのは簡単ですが・・・)
この風水的に良い気とは、龍穴や龍脈とよばれるものです。世の中の様々な気功、霊術ではその気(または類する気)をとらえ(臨場感を持ち)活用する技術があります。
(この辺は巷にあふれるインテリア風水とは一味違うところではります。)
先祖に気を送る
これは先祖を呼び出し(または気の玉の形で持ってくる)、その人(の霊、又は情報的気の玉)に気を入れてあげればよいわけです。
ただしこの時注意すべきは、存在したことが分かっている先祖と把握しきれない先祖がいるということです。また直接血はつながってはいないが、一緒に過ごし深い縁がある方もいたことでしょう、ということです。
この点を考慮すると、方法としては、”〇代前の先祖”とひとくくりにして呼び出して、そこに気を送る方法があります。
もちろん確実にわかっている範囲の個人個人を順番に行ってもよいでしょう。
ここからはIKTM流の考え方なのですが・・・、先祖を先祖霊として、人として扱います。そしてその先祖に良い気を送るわけです。これはその先祖霊にとっては大変うれしい行為です。しかし先に述べたように、すべての先祖霊を個別に把握できない場合があります。すると中には「あの人はやってもらって、私はやってもらっていない。ずるい。」と感じる方(先祖霊)が出てしまうことがあるということです。
この場合、その先祖霊は我々に良い結果をもたらさない可能性があります。
我々の目的は現世利益ですから、こういった状況はなるべく避けたいわけです。
ですので、先祖(霊)に気を送る時は、なるべく公平にするか、その人が納得する形で気を送る必要がある。としています。(生きている人に接するのと同じですね。)
ほんじつはここまで
前述した先祖や風水のための気功(眼に見えない)技術は、認知科学式の気功にもIKTM流にも多くあります。
気功の技術して行うこともできるし、スピリチュアルや信仰に近い領域で実践することもできる世界です。
どちらでも良いのですが、活用する方がどちらの方が好きか?臨場感があるか?で判断されればよいかと考えています。