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共感覚は気功に必須か?

ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申します。

 

本稿では共感覚について思うことを述べていきたいと思います。

これまでも本ブログでは共感覚について述べてきましたが、また変わった切り口の考察をしてみました。

 

共感覚について

共感覚とはざっくり言うと、

入力された情報が脳と心で処理されて異なる五感に再マッピングされてそれを人が認識すること、

となるでしょう。

 

学術的な定義があるかどうかはわかりませんが、少なくとも気功を行う上ではこのように認識すればよいかと思います。

 

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一般的に脳の誤認識と言われたり、脳の素晴らしい機能であると言われたりしています。

 

共感覚について紹介した書籍もいくつか出ています。

ただ本当の仕組みはまだ解明されていないようですね。

 

私の昔の共感覚体験

共感覚を何で感じるかは人によって異なります。

得手不得手もあります。

 

しかしみなさんが一番欲しいのは視覚に再マッピングされた共感覚でしょう。

いわゆる気が見える、霊的情報が見える・・・といった類です。

憧れですよね? 気とか霊とか見えるの。中二病的で。(笑)

 

この視覚共感覚なるものは私には備わっていないと思っていました。

しかし思い出すと決して経験がなかったわけではないようです。

 

この共感覚という概念を知らないときは、寝ぼけて幻覚のようなものを見ていたのだと認識していたのです。

 

例えば、電車に乗っている時”うとうと”しながら、ふと前に座っている人の顔をみると、その顔色が緑や黄色に見えるときがありました。びっくりしてしっかりと見直すとスー―っと普通の顔色に変わっていったのです。

 

また、白地に黒の文章の一部の単語が赤文字にみえることもありました。このとき特定の単語だけが色が変わっていたのかどうかは確認できたら面白かったのですが、残念ながらできませんでした。そしてこの時も”うとうと”した状態でした。

 

これら体験はそれぞれ複数回体験しています。

 

いずれも”うとうと”すなわちある種の変性意識状態にあった時と解釈できます。

 

ただし、”うとうと”なので変性意識状態になることをコントロールしているとはいいがたいです。しかし脳が誤認識をして共感覚的な働きをしたことが想像できます。

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気功に共感覚は必要なのか?

共感覚による内部表現の書き換え」が認知科学気功の定義です。

おそらくほぼすべての気功(認知科学式以外の)にもあてはまると思われます。

 

共感覚で情報(=気=クライアントの状態)を検知し、その検知に基づいてその情報をコントロールするわけです。

 

気功の定義そのものですね。

 

上記の説明は”情報”を”内部表現”、”コントロール”を”書き換え”と読みかえると、認知科学気功の定義である、”共感覚による内部表現の書き換え”となりますね。

 

ということは共感覚は気功に必須のものなのでしょうか?

 

測定なくしてコントロールなし

気功に共感覚が必須かどうかを考える前に、もう少し掘り下げます。

 

”測定なくしてコントロールなし”

これは某企業の品質スローガンだったりします。

 

この標語は気功にもあてはまります。(これまでも本ブログ内で述べています。)

 

thekerrias.hatenablog.com

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この元ネタはウィリアム・エドワーズ・デミング博士が言ったと言われている

「測定できないものは管理できない」

と思われます。管理をコントロールと置き換えればよいですしほぼ同義です。

しかしながら

W・エドワーズ・デミング - Wikipedia

によると、

It is wrong to suppose that if you can’t measure it, you can’t manage it – a costly myth.
W. Edwards Deming, The New Economics, page 35.

ですので、「測定できないものは管理できないはまちがい」が正しいとされています。

都合の良いところだけ抜き出されていったのでしょう。

(もちろん、測定は大事で十分ありきの前提です。これを間違えるとみんな根拠のない勘でおこなってしまいます。)

 

ここでハッと気が付くのです。

 

これは管理すなわちコントロールするためには、”測定”におけるインプットが直接の情報の測定=検知でなくても構わないという意味も含んでいます。

 

ということは気功に置き換えると、気の感覚のインプットだけが重要なのでしょうか?

 

ここで自問自答します。

 

気功の効果が出ない言い訳を、共感覚がうまくつかめないせいにしていないか?

 

直接的なまたは自分が思い描くような共感覚がなくても、他に検知する方法があるのでは?

 

マッピングされた共感覚に見落としはないか? 五感のどこかに変化はないか?

 

共感覚がなくても、観察と知識から推論し原因にフォーカスできるのではないか?

 

共感覚がなくても気功の効果・結果から気功施術の正しさが測れるのではないか?

 

特に気功の上達にお悩みの方は考えてみてください。

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改めて共感覚は気功に必須か?

で、先の問いに戻ります。

共感覚は必須でしょうか?

 

いきなりですが結論としては”最低限一種類はあったほうが良い”でしょう。

 

何か一つでもあったほうが良いです。触覚でも視覚でも。

 

共感覚が全くないと、全ての基本である気の玉が作れません。

たとえパントマイム的に作っても、その気を感じない状態で気功を続けることなどできないでしょう。あまりにも馬鹿馬鹿しくなるはずです。

 

また気功技術の臨場感を得ることが(ほぼ)できないので、全く共感覚がないのは厳しいかもしれません。

 

もう一つは気功を続ける小さなモチベーションの一つが”気を感じる楽しさ”にあると思います。

 

このモチベーションと気功を行う目的またはゴールがあるから、気功を続けられるのだと思います。

 

ただしIKTM流(私が修行してきたヒーリングメソッド:I had received the Knowledge and Trained healing Method.)のように気感(共感覚)が一切なくてもOKな流派もあります。共感覚はあってもなくても良いというスタンスでした。実際に全く気の感覚がない人でも、気功師として開業している人もいましたね。

(しかしこれはレアなケースで、多くの人が多かれ少なかれ気感を得ているのが実状でしたが。)

 

とはいえ個人的には気を感じて(あるいは見て)楽しく気功を行って欲しいと思っています。

 

共感覚の落とし穴

先のIKTM流が共感覚を必須にしていない理由は、共感覚に頼りすぎると間違いが起こる確率があがるからです。

 

特に共感覚が視覚となる場合、その正誤の判別が難しくうっかりクライアントに伝えたりするとトラブルになることもあります。

 

例えば胃の施術をしているのに、気の感覚によって肝臓の方が黒く見えて(悪いところは黒く見えることが多い)肝臓の施術にシフトしてしまうような場合です。

 

気功師としてはより良い結果を求めての行動ですが、クライアントにしてみれば”何をやってるんだ”です。

 

しかもその時”いや、あなたは肝臓が悪いんですよ”などと言おうものなら、トラブルどころか医師法違反とも捉えられてしまいます。

 

このように共感覚のみに頼ると間違えることがある(またはトラブルがある)ことは覚えておくべきです。

 

ですので共感覚で捉えた感覚・結果を、知識で補完して慎重に判断すべきです。

(それでも人の判断ですので、100%正解は難しいですが)

 

もちろん自分の中で閉じているのなら好きに判断しても良いのですが、気功に効果があるかどうかのフィードバックを必ず取りましょう。

 

 

ほんじつはここまでといたします。