遠隔気功・ヒーリングの手触り
ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申します。
本稿では、遠隔ヒーリングや気功、霊的技術を行うときの手触りについて述べていきたいと思います。
その時の手触りとは?ですね。
遠隔で何をしているのか?
気功やスピリチュアルヒーリング(?)、サイキックヒーリング(?)の各流派によって、遠隔施術の際に行う内容は異なります。(遠隔せ術を否定する流派もありますがそれはとりあえず横に置いといて・・・)
一昔前(大体30年前・・・笑)の遠隔ヒーリングでは、相手を思いながらまたは電話を繋ぎながら気(とか念とかパワーとか)を送る手法が多かったです。この時相手の細かな患部に送るパターンと全身に送るパターンが存在しますが、いずれにせよあまり手や腕は動かさないことが多かったです。どちらかというと顰めっ面(しかめっつら)で行う人が多かったですね(必死にやっているアピールにも見えますが)。加持祈祷などは宗教的作法に則った動作はしますが、ヒーリング自体に直結した動作ではありません。
ここで言う”ヒーリングに直結した動作”とは、その動作がヒーリング効果または望む結果に繋がることが想像できる動作をさします。例えば先ほどの加持祈祷の護摩木を焚く動作はあくまで炎をたてることがメインのものです。ヒーリングの動作とは言いづらいかと思います。
対して近年の気功の”遠隔浄化”技術などは、わかりやすく何か(邪気など)を明確に退かす・除去する動作であることが見て取れます。(最近のヒーラーや気功師さんたちはYOUTUBEに自分たちの遠隔施術の様子をUPしていますので、それをご覧になられると良いです。) その他にも様々な手の動かし方をしています。玉のようなものを扱うパントマイムのようなことをしたり、押し込むような動作や空中に文字を書く動作などが代表的でしょう。
これらの違いは何かというと、気(念、パワー、エネルギーもろもろ)を離れた相手に送るという手法と、相手の(気的霊的概念的)分身を”呼び出し”その分身に対して施術をするという手法の違いです。よりマクロに見ればどちらも同じことをしていると気づくのですが、その手法によって臨場感の生成のしやすが異なります。(もちろんこれに該当しない流派も山ほどあるのですがここでは割愛)
臨場感を得るために
ではどちらの手法が良いか?ということになりますが、結論としてはどちらでも良いことになります。ただし臨場感と気感を得られることができる手法であることが重要です。臨場感の強さが施術の結果に大きく関わることが多いです。
個人的には(慣れもありますが)施樹相手を呼び出すやり方の方が、臨場感を得やすいと感じます。
最近の多くの気功では、相手の気的(霊的)分身を気の玉の形で呼び出す(取り出す)ことが多いようです。球状の相手(!)に対して各種ヒーリング技術をかけていきます。臨場感は減少しますが汎用性があり抽象的思考ができる(抽象度が高い!)のであればこの方法も良いです。
対してもう一つの方法として実際の体の大きさで相手を呼び出す方法です。Sun-Light Yellow Artsでは極初期の段階ではこの方法を進めています。相手を認識し実物大の体を想定してそれに対して施術をしていきます。体の実態(肉体)がないだけでリアルな肉体がある場合とほぼ同じ容量で施術をしていきます。相手の想定する情報量が増える分、臨場感が増します。その結果良い結果が出ることがあります。
さらにさらに初心のうちは見えない実物大の体の臨場感をサポートする為に、人形(ひとがた)の敷物を用意しそこに呼び出しその状態で施術する場合もあります。ちょうどチークラインのように自分で書いたり、色のあるテープで描いたりしても良いです。
以降、相手を呼び出す方法での記述になります。
手触り
ようやく手触りの話になります。
気の玉の形にせよ、実物大の気の体の形にせよ、そこに対して施術をしていきます。これが遠隔ヒーリング・気功です。多くの技術がその気の領域に、手を突っ込む動作をします。先ほどの何か退かす動作もこれに当たりますね。
本稿ではこの時手に感じる感覚のことを”手触り”としています。
この時に何を感じるのか? 側から見ると何もないところを術者が手でゆらゆらと動かしているように見えます。しかしその手にはしっかりとした感覚があります。
この時どこにフォーカスして意識をするか?によって感じる(気の)領域が変化します。病気治療の遠隔をしている場合は、異常があるところに対して感覚が発生することが多いです。これは業界(?)では気感と言いますが、共感覚であります。捉えた情報がその人にとってわかりやすい感覚に変換されて感じます。よって人によってその感覚=手触りは異なります。熱として感じる人、磁力として感じる人、スース―とした風として感じる人様々で正解はありません。
普通(?)は手の感覚で現れるのですが、違うパターンで感じる人もいます。私の知り合いの方なのですが、邪気(マイナスの情報)に触れる又は意識を合わせると、横隔膜に反応が出る方がいます。遠隔気功をしているとき、気の体に手を入れて気の状態の捜査をすると、邪気がある部分=罹患している部分にあたると、しゃっくりが出るのです。疾患だらけの方を施術する場合うまくレベル合わせをしないとずっとビクビクしゃっくりをしている状態になります。申し訳ないですが側から見てるとかなり滑稽でして・・・。
この辺は本ブログの共感覚についての投稿をお読みください。
重要性
この手触りは重要です。ここでは二つの役割について述べてみます。
一つ目は、施術対象が明確になるということです。(側から見ると)何もない領域で手を動かすわけですが、この時この手触りがあるとその対象が明確になり、継続した施術が行うことができます。
逆にこの手触りがないと、何もない場所に何もない感覚のまま手を動かすことになります。意志の強い人はともかく普通の方が長時間(数十分単位)の施術は難しいです。
手触りがなくても一定の施術効果はあるものですが、継続してできないのは致命的です。それを補助するためにも、先ほどの分身を実物大で想定した状態での施術を勧めています。そうすることで手触りがなくてもある程度長時間施術をすることが容易になります。対象がはっきりしているためと思います。
二つ目は、手触りを通して施術される人のまたは患部の変化を感じることができるためです。その手触りを頼りに、様々な気的霊的技術を繰り出します。一つの技術をしばらく行って変化が無いようであれば、異なる技術でアプローチをしていきます。この変化を感じ取れるかがとても重要です。できれば治る感覚(または効果がある感覚)、治らない感覚の区別がつくのが良いのですが、少なくとも変化をかじることが重要です。
よく初心者の方から”遠隔はどれくらいの時間割れば良いのですか?”と質問を受けます。人tの答えとしては変化が出るまで・・・と答えることが多いです。(超初心者の場合で手触り(=気感)が非常に薄い人には時間で区切るようにように言う事もありますが)
今回は”手触り”として記事を書いていますが、施術をする上で、気感(=共感覚)は手の感覚以外でも使用することはできます。ざっくり言うと、見える人は見れば良いですし、他の感覚を頼りに施術している人もいます。
フィクションな話
最後に私の苦い経験をお話ししてみます。あ、フィクションです。
とある人から心臓がおかしい感じがすると連絡を受けました。そこで私はやばそうだったら迷わず医者に行くように伝えつつ、すぐに遠隔で施術を開始しました。
その時の手触りは熱と重みを感じるようなものでした。かなり強く感じます。しかしいくら施術をしても一向に良くなる感覚(手触りの変化)がありません。施術がうまくいくと、①手触りが変化またはなくなる→②しばらくするとまたは即時に症状がおさまる→③その後病気の原因が徐々に変化していく・・・・といったパターンが多いのですが、その時は①が起きません。
施術の効果が現れない場合でも①の感覚がほんの少し起こるものなのですが、この時は全く起こりません。これは異常自体が起きていると判断しました。そこで再度その人に連絡し、もし病院に向かっていないようなら今すぐに病院に行くように強く伝えました。必要なら救急車も使えと。
数時間後、その方が病院から連絡をいただきました。かなり良くない心臓の状態であったとのことでした。しかし病院に行くことでなんとか命を拾うことができました、と。私の遠隔施術は役に立たなかったのかな?でもきっかけは何にせよ病院に行かせることができてよかったと思っていました・・・その時は。
本人の希望もあり、回復を早める目的で遠隔施術をすぐに再開することになりました。しかしその時の手触りは病院に行く前の感覚とあまり変化がありません。病院でどのようは処置をしたかは聞きませんでしたが、変化がないのはどういうことだろう?と思いながらも、私の気感がへっぽこなのだろうと思い施術を続けます。相変わらず①の感覚が起きません。おかしい。でも気のせいかも?。。。
その日は断続的に遠隔施樹を行いましたが、夜もふけてきたの就寝いたしました。
そして次の日。
その人の訃報が届きます。後日聞いたのですが、深夜に心臓破裂を起こしたとのこと。
自分の施術の未熟さ痛感しつつ、信頼して施術を依頼してくれたその人に対しても申し訳ない気持ちです。この話はもう数年前のことではありますが、その時の施術中の手触りは今でもはっきりと覚えています。
治療の手触りについて記述している際に思い出したので吐き出してみました。手触りの重要性と切羽詰まった臨場感を感じていただければと。
あぁ、もう一度言いますが、フィクションです。
本日はここまでといたします。