霊術と気功を伝統と科学で学ぶブログ

Sun-Light Yellow Arts :あともう一つの解決方法をあなたに

言葉に従う

ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申します。

 

本稿では、IKTM流(私が修行してきたヒーリングメソッド:I had received the Knowledge and Trained healing Method.)の霊と言葉の関係性について少し述べていきます。

霊に関する事柄は流派・宗派で言うことが違いますので、あくまでもIKTM流の・・・となります。また霊が本当に実在するのか?と言った至極真っ当な疑問に関しては、ここでは横に置いておいて頂いて、霊は何らかの形で存在するものとして話を進めます。

(IKTM流は霊の存在を肯定し、積極的(?)に活用する立場にあります。)

 

今回もかなりマニアックで、ちょっとスピリチュアルかもしれません。しかし一部認知科学的な解説も試みてみます。

 

言葉に従う

霊的な物は言葉に従います。

これはよくある引き寄せの法則のことではありません。より具体的に霊的なものに働きかける文脈です。

 

霊は人が発した言葉に縛られます。

(後述する例外や枠に当てはまらない事象も多くありますが、基本的にはこの通りです。)

霊の行動(?)を限定したり、許可を与えたりするイメージです。

例えば神社などでお供えをする際、「お召し上がりください」と言わないと相手(?)はそのお供えを食べることができません。(あれ?あまり例えになっていないかも・・・)

 

言霊信仰に近い

霊的なものは全てのものに宿っています。(これはIKTM流の考えですが、神道的な考えでもあります。) 人や動物だけでなく、無生物やこの世に存在する(実在、概念、空想とわず)もの全てに宿っていると考えます。

また、全ての霊的存在には意識があり人格(物格?)があるとしています。究極的には全て人間と同じような存在と捉えることができます。

 

と言うことは、普段人(相手)やペットに話しかけるだけでなく、発した言葉の内容の全てが霊的なものへ向けて発したことになります。全てに相手がいるわけです。

ですので、汚い言葉遣いを避け、言葉遣いに気を付けるべきだと言うことになります。(この辺は言うは易しで、なかなか全て常時できるものではないですが・・・)

 

これはすなわち「言霊信仰」ともいえます。

ja.wikipedia.org

IKTM流は古神道の思想がベースにあるので当然とも言えます。

 

霊の特定

前記の言霊思想や躾・お作法的なものから発展して、IKTM流ではこの霊への言葉による縛り(の作用)を使って、自分が意図する霊的存在を特定していきます。

 

例えば自分の身体の痛みに関連している霊を特定する場合を考えます。

一般的な霊能者(?)や見える人は、見て特性すれば良いわけです。認知科学式気功では「蟲」と言われる体にあだなす情報体を「気の視覚化や共感覚訓練」などによりその蟲を特定・除去したりします。

しかしIKTM流では見える感じるを重要視しないため、誰でもできる方法として、言葉による特定を行います。「私の痛みに関与する霊」と名指しをするのです。

 

この時、より確実の関連する霊(痛みに関する霊)を特定するためのお作法や印(手印、体動、呼吸、意識)は存在しますが、肝は「言葉」です。「私の痛みに関与する霊」でも良いのですが、より具体的に指定をします。例えば「昨日からある首の右側の痛み」など具体性を持たせるのです。

 

そして日本語としておかしくない文章であることが必要です。変なとは言っていて違和感があるような言い回しです。言葉で意味は通っても腑に落ちないかんじがするものはいけません。

 

言う、書く、思う

ここでもう一つの疑問は、言葉を発する(言う)のは良いが、思うのはどうなのか?と言うことです。汚い言葉を発しなくても、心の中で汚い言葉で罵るようなことをした場合、霊的対象に届いているのか?です。

 

結論としては届いていると考えます。しかし薄い届き方ととらえます。

 

純粋な霊的存在は心(思念)100%なので、思う=言う、となりますが、我々は肉体を持っているため、制限が生まれるためです。また、言う以外に動作するすなわち書くことも意識を外に出すことになります。

 

ですので多少乱暴ですが、言う ≒ 書く > 思う となります。

認知科学式に言うと、臨場感の捉え方と言えます)

 

気をつけなければいけないのは、全く届かないわけではないと言うことです。

例えば神社にお参りする際に、言葉では「どうぞお願いいたします。」と言ってはいますが、心の中では「てめーお賽銭ドロボーしたらしょうちしねえぞ?」と思っているような場合は、まぁよくないわけです。

 

言葉を発すると、書くと、心で思うの差はあるが、過信は禁物です。(人間ですのでなかなか完璧は難しいです。私も人のこと言えない・・・・)

例外的なところ

先述したように霊的なものは言葉に従います。

 

もしこれが本当で霊的な存在が人に作用することを肯定する立場であれば、以下のように唱えれば万事OKとなるのではないか?と言うことです。

「私の身体的不調と能力発揮を妨げている全ての霊」

 

・・・しかし残念ながら、これでは対象とするものを特定しきることができません。

 

理由は二つあります。一つは、自分の霊的実力が伴わない、すなわち霊を特定しても処理(浄霊と称する場合が多い)できないような霊の場合。この場合たとえそのような霊的なものが存在していたとしてもその霊は言葉に従いません。二つ目は言葉の内容が広すぎて特定しきれない場合です。臨場感の欠如とも言えます。またそのような霊が存在しない場合もあります。

 

先のように痛みを処理する場合、IKTM流においては霊的なものを処理することでその目的を達成する試みを行います。それには術者の霊的実力が備わり、且つ明瞭で的確な言葉で対象の霊的存在を名指しることが必要なのです。

 

ほんじつはここまで

霊の特定は感覚的には指名に近いです。そして明確に特定できる言葉を決めることで、名指しているとも言えます。

 

認知科学式気功で言うところの、クリプキの「名指し」や「可能世界」につながるところもあります。(ほとんど同じだと思うのですが、まだ少し引っかかる部分があるのでこの辺の解説はいずれまた。)

ja.wikipedia.org

今後もIKTM流の世界を、認知科学や超情報場で読み解いていければと考えています。

 

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