車のお清めの方法
ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申します。
ここ数回自分なりには濃い投稿が続いていたので、ちと箸休めの投稿です。
IKTM流(私が修行してきたヒーリングメソッド:I had received the Knowledge and Trained healing Method.)の備忘録です。
あんまり科学的根拠はないかもしません。たぶん。
車のお祓い
車を購入した際に、その車をお祓い又は浄化する方法です。
巷の神社でも”車払い”として営業していたります。
今回はIKTM流のやり方の紹介です。
非常に簡単です。
塩を撒く
では実際のやり方です。
まずは、塩を用意します。
塩については下記のリンクを参照下さい。
浄化された天然塩を使うのですが、もしどうしても用意できなければ天然塩で行います。
(塩の浄化は、気功の浄化の技法を使う、浄化の気を送る、月光に晒す、などなど。)
この塩を車の内外に撒いていきます。
一回に撒く量はごく少量で構いません。
(某お相撲さんのように盛大にではないです。本当に軽く一つまみずつです。)
撒く順番は以下の通りです。
- タイヤ 右前→右後ろ→左後ろ→左前
- 車体 フロント→右前ドア→右後ろドア→バック→左後ろドア→左前ドア→上部(天井)→運転席のドアの取手
- 車内(ドアを開けて) ペダル(全般)→ハンドル→アクセル→ブレーキ→メータ類→運転席→助手席→後部座席
車の中に塩をまくのははばかられますが、少量で大丈夫です。
気になるようであれば、処理が終わったのち掃除してOKです。
九字印で祓う
最後に祓いです。
IKTM流のやり方です。
運転席の前あたりのフロントから車体全体を九字印で3回祓います。
九字一文字印を使って払います。
車全体の邪気を吹っ飛ばすイメージです。
これはやり方がわからないと難しいかもしれません。
参考までに下記のリンクを参照ください。
(どこかでもう少し詳細に紹介できればと思います。)
どうしてもできないのであれば、塩で浄化まででも良いでしょう。
何に対して行うのか
ところでこの車のお祓い(浄化)ですが、何を祓っているのでしょうか?
IKTM流の解釈では以下のようになります。
まずは”物”としての車そのものの霊(IKTM流では物霊と言います)を浄化するのです。
また新車の場合、組み立て作業している人、細かな部品に関わったもの、その車を見てほしいと思ったり何か思い入れがある人の念、など関わった人の念(張り付いた情報のようなもの)を総合的に祓います。
今回紹介した車の祓いは、死亡事故を起こしたような中古車は対象にしません。
この辺は流派によって解釈がちがうかもしれませんね。
本日はここまでといたします。
統合医療の現実と気功の取り入れ方
ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申します。
今回は少しシビアな内容になります。
気功やヒーリング(民間療法と言う意味です。気やエネルギー、スピリットの概念の有無を問いません)と現代医療のかかわり方についてです。
私のブログ内でも一部病状に対する気功的アプローチの方法を紹介しています。
しかしいずれもまずはお医者さんにかかって、診断を受けて、そしてその追加施術として気功やヒーリングを行いましょう、と言う立場です。
さて、
今回は病気治療に気功やヒーリングを導入する際に考えなければいけないことを記してみます。
病気治療を気功やヒーリングのみに頼ろうとしている方たちへ。
そして、現実を受け入れることができない気功師・ヒーラーたちへ。
これから述べることは、あくまでも私の意見です。と言っておきます。
また本項では、代替医療=統合医療=気功や各種健康法を含むヒーリングと定義します。
気功師・ヒーラーが思ってること
気功師・ヒーラーはクライアントのQOL(クオリティオブライフ、人生の質)をあげることを使命としています。
病気治療のお手伝い、能力を開花させること、弱点を克服すること、ビジネスを思い通りに成功させること、すべてQOLの向上のためです。
よって、難病で苦しんでいる人には、その病気の対処をして、その人のQOLをあげたいのです。
気功師やヒーラーは日々精進し、クライアントに向き合います。
すこしでも良い結果を得るように全力を尽くします。
そして気功やヒーリングを受けるクライアントも、病院で治らないかもしれない病気であれば、気功やヒーリングで治したい。そう思う人は少なからずいらっしゃいます。
私たち気功師・ヒーラーもそう思っています。(治ると声に出して言い切ることはまずしません。でも心の中では。)
残酷な事実
気功や各種ヒーリングは統合医療と言われるものの一部です。(少し前は代替医療とも言われていました。)
巷には様々な効能をうたった様々な流派の気功やヒーリングや健康法が溢れています。効果がありそうな言葉が並んでします。
また医師や現代科学の専門家も多く参加している統合医療に関する学会も多くあります。
皆それぞれの理念のもと、人のために、人の健康のために、人の生活の質向上のために日々精進されているようです。
しかし私は、現代医学(標準治療など)があるにも関わらずそれを拒否して統合(代替)医療のみに頼るのは危険だと言わざるをえません。
以下の資料に目を通していただきたいのです。
現在でもなお死亡率の高いガンについての記述です。
(国立研究開発法人国立がん研究センターのHPより引用させていただきました。)
https://www.ncc.go.jp/jp/cis/divisions/05survivor/pdf/16OS.pdf
代替医療のみを選んでしまったがゆえに、死亡リスクが上昇している現実があります。
死亡リスクは2倍とあります。
(もちろん現代医療も治療できる癌であっても100%治るわけではない。)
癌にが効果ない?どういうことか?
有名人芸能人の方も標準治療または先進医療を受けたほうが良かったと思われる人が多くいます。
では気功やヒーリングは癌に効果がないのでしょうか?
私はそんなことはないと考えています。
人体科学会(http://www.smbs.gr.jp/)や日本補完代替医療学会(http://www.jcam-net.jp/index.html)などいくつかの学会で癌に効果がある可能性が報告されています。(絶対に治癒するとは書いていないですよ)
ではなぜ代替医療を選択すると死亡リスクが上るのでしょうか?
私が考える理由
担当した気功師・ヒーラーの腕が悪いからそうなったのでしょうか?(「自分は違う!」と言い切れる気功師・ヒーラーの方はいますかね?)
それも含めてまとめると以下の理由になります。当たり前と言えば当たり前です。
その1:効果の度合い
癌に効果があると自負する人(方法)でも受けた人が100%治るわけではありません。
超絶ヒーラーで癌・難病をバンバン治す人がいたとしても100%はありえないのです。(少なくとも私は見たことも聞いたこともない)
先程の「自分は違う!」と主張する気功師・ヒーラーの癌の治癒率は現代医学の治癒率にどれだけ優っているのでしょうか?
気功やヒーリングで何割の人の癌が治るのでしょうか?
又は死亡リスクがどれくらい良くなるのでしょう?
もちろん、気功やヒーリングで癌を治す人(方法)がいないとは言いませんが。
(私も気功で癌が治った例はいくつか知っています。)
その2:効果を出せる割合
癌に効果が出せる気功師・ヒーラーは全体の何%でしょう?
気功やヒーリングは、流派の得手不得手、人のスキル、習熟度、情熱(!)にその効果が依存します。
悪い言い方ですが、当たり外れがあります。
最悪なことに詐欺まがいのものも横行しています。
当たりの(癌に効果がある)統合医療及びその担い手はどれくらいある・いるのでしょう?
以上の効果の度合いと効果を出せる割合から集計をすると前述の資料のように散々な結果なのです。
現代医学の癌リスク軽減効果に比べて気功を含めた統合医療・代替医療の推しなべたリスク軽減効果が悪いのです。
現代医学で治りづらい病に対して気功やヒーリングを導入すべきか?
推しなべて統合医療は癌のリスクを下げていないわけですが、中には例外はあります。
少ない割合ですが、気功や各種ヒーリングで癌に効果がある場合があります。
またガンだけではなくその他の疾患に対しても同じです。
ですので、私の主張は以下になります。
現代医学をベースとして治療を受けて、プラスアルファとして統合医療(気功やヒーリング)を取り入れるべきです。
効果があるものに巡り会えるかもしれません。
試して見る価値はあります。
そしてもし取り入れた療法が現代医学の邪魔をするようなら、その療法はストップするべきです。
また現代医療では治療法や対処法が全くなく、一生苦しいまま又は死を待つのみの方に対して、気功やヒーリングを試すのは良いと思います。
この場合現代医学の代替として使用するわけですが、疾患の状況を客観的に計るためには医師の継続受診は必須です。(しかし治療法対処法が全くないのはかなり稀です)
では自分は?
私のこれまでのヒーラー活動の経験からは、がんは延命はできても完治は難しいと考えています。
(お前の腕が悪いだけじゃないか!おれは100%治せるぜ!という方は素晴らしいヒーラーですので、是非頑張っていただきたいです。ほんとに。)
中には延命・完治ではなく、少しでも長く動けることを目標に気功施術を受けた方もいます。
ある人はNo GOLF, No LIFEと言われていました。(プライバシーの都合上一部内容を実際の発言から修正していますのであしからず)
「今日も朝(ゴルフに)行ってきました!来週も行きたいです!」
と最後の最後まで大好きなゴルフを楽しむことを優先していました。
おそらく入院して外科手術と抗がん剤治療をすることで生存時間は長くなるとは思います。
しかしその結果ゴルフを満足できなくなります。そのほうが我慢ができなかったのです。
お医者さんにかかりながら、気功で抗がん剤の副作用と体の可動域をキープするような施術を行いました。(強がりがあったのかはわかりません。もちろん、もしかしたら、ひょっとしたらの期待がゼロではなかったでしょう)
パートナーの方は最初は入院による治療を望んでいました。
しかしその方が亡くなった後に、
「人として尊厳をもって生ることができました。ありがとうございました。」
と、泣いたような笑ったような顔で報告していただきました。
もちろん心の奥底で私をどう思っていたのかはわかりません。(憎んでいるかもしれない)
病気への施術を行う気功師・ヒーラーは色々考えることがあるかな、ということで私のエピソードを紹介してみました。
ほんじつはここまでといたします。
霊を消す・情報を消す、抹消の術考察
ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申します。
本稿ではIKTM流(私が修行してきたヒーリングメソッド:I had received the Knowledge and Trained healing Method.)の技術の一つを認知科学式の気功でひも解く考察をしてみたいと思います。
ちょっと試験的な内容かもしれません。
そしてあくまでも私説ですので、認知科学系の気功師やヒーラーが全員同じ考えではありません。ですので他の気功の先生に問い合わせなどはしないでくださいね。
さて、
IKTM流のその技術は”抹消の術”といいます。
簡単に言うと霊的存在を消す技術です。
なんとも中二病的な響きのあるものですが、そのようなものです。
主に人に害する霊のうち、除霊・浄霊ができない霊を処理するときに使用されます。
使用頻度は極めて低く、秘奥義的位置づけです。
一般的・伝統的除霊や浄霊と言われるものと扱いが異なるのも興味深いのです。
霊とは情報である
まずはそもそも消す対象の霊とは何か?についてです。
IKTM流では伝統的考え方に基づき、人や運命に影響を与える存在とされています。
(良くも悪くも。リンク先も参照下さい)
認知科学式気功では、霊は情報的存在ととらえることができます。
存在はするが実在しないものととらえます。
情報空間に存在するわけです。
この考え方は、認知科学式でもIKTM流の伝統的な考え方でも、どちらでも当てはめることができます。本質は同じです。
いずれにしても霊又は情報的な霊は、人の宇宙である内部表現に存在し、それゆえの機能をはたしています。
もちろんその機能は良い機能ではないかもしれないし、心を円滑にするものかもしれません。
伝統的に悪霊とされるようなものも、人に害を与える機能を有していると捉えることができます。
霊は情報であり、そして何かしらの機能を持っているのです。
さて、
霊は情報的な存在であるということは
情報を消すまたは書き換える事が出来るはずです。
情報を消して機能を果たすことをできなくすることになります。
IKTM流・抹消の術
IKTM流の抹消の術は、霊的存在を消す技術です。
いわゆる浄霊のように成仏(?)させるのではありません。
除霊のように移動させるのではありません。(この辺りは後ほど解説します。)
霊を消すのです。
この”抹消”は、本来なら存在しているものをなくすことです。
こう言うと輪廻転生を知っている人は、輪廻から外れることになるのか?と思うかもしれません。
しかしそれとは違っていて、存在がなくなると捉えています。(IKTM流は輪廻転生や前世を一部肯定しています。しかし認知科学式は伝統的な輪廻転生は認めていないはずです。)
抹消の術の問題点
先に述べたように人に害なす存在の霊であっても、何かの機能をもっています。
霊を消すと言うことは、その機能もろとも消すということです。
人の抽象度で見れば悪さをする悪霊(?)を消しているだけのようですが、
もっと抽象度の高い視点で見れば、
この世(物理空間)に対して影響があるあの世(情報場)のある機能を果たしている存在を、
(ほかの機能の一つであるしかない人が)その人の都合のみで、ある機能を消してしまうことになります。
人には害としか映っていないかもしれませんが、マクロ的にそしてロングスパンで見ると、もしかしたらそれゆえに人の科学が発展するのに必要な原動力である可能性もあります。
よって霊=情報の一つの形態としてみたときに、
果たしてそれを完全に消すことが良いことなのか?
なかなか答えが出るものではありません。
そのためIKTM流では、不用意に抹消の術を使用すると業を背負うこととなるとしていました。
スピリチュアルな技術体系なのでそのような言い方になります。
業とはその人が背負う原罪のようなもので、その業の解消を行わない限りその人の今生の人生及び来世に至るまで悪い影響があるとされるものです。
(これまた伝統的技術のよくない(?)ところですが、そうなってるので、まぁ、聞き流して下さい。業について一部記事を書いてます。結論としては”業はあるかないかなんてわからないし気にしてもしょうがないので今を生きよう”と言うことなのですが。)
IKTM流の除霊と浄霊
IKTM流の霊を扱う技術には、除霊と浄霊があります。
こちらのほうがポピュラーな(?)技術です。
簡単にIKTM流の除霊と浄霊について解説します。
いずれも人に関与する霊的存在を処理する技術です。
除霊は霊を移動させることです。人に憑いている状態を無理やり引きはがす又は殴り飛ばすイメージです。
浄霊は対象の霊を憑いている人に害を与えない状態にしてあげることです。情けをかけるイメージです。
浄霊は飴で、浄霊は鞭な感じです。
両方必要な技術をされています。
(詳細はまた別途備忘録として紹介します。)
認知科学の類似技術(解釈)
認知科学式の気功ではどうでしょうか?
霊=情報ととらえたときに、どのように処理するのでしょうか?
大きな意味では情報を消す・抜くことは技術化されています。
霊と認識される情報を消してしまえばよいことになります。
または、機能しない状態にすることとなるでしょう。
その工程では臨場感をもってその情報を認識し、処理(消す・抜く)します。
人によって多少し違ようですが、霊=情報=蟲として扱ってつぶす、壊す、捨てるなどの方法で行います。やろうとしていることは同じです。
また情報を消す・抜くということは、内部表現から消すということです。
内部表現は人の情報場でもありますから、その情報場から一部の情報=霊と認識するものを消すことになります。
霊の情報が、意識している領域にせよ無意識の領域にせよ、どこかに記憶されていことになります。
よって、消すといっても思い出せない状態にするということになります。
(人は一度記憶したものは忘れることはありません。思い出せないだけです。)
情報を機能させない状態(意識に上がらなくなる、機能が発動しなくなる)にすることとほぼ同義のはずですね。
この場合は機能してしまう状況にしないことも方法の一つです。すなわちトリガーを外すのです。
記憶(アンカー)の機能を発動させるきっかけがトリガーです。
そのトリガーをなくしてしまうのです。このとき記憶(アンカー=内部表現の霊の情報)自体は残っていることになります。
認知科学式の気功を行う方の中には、技術名が浄霊・浄霊とうものを使う方いらっしゃいます。ただその内容が上記の内容とイコールかはわかりません。私の不勉強でもありますが。
抹消の術とついでに除霊と浄霊の対比考察
ここでようやく本題です。(長かった・・・)
霊関係のIKTM流の技術と情報を扱う認知科学式気功を対比してみます。
説明が足りない項もありますが示してみます。
IKTM流技術名 | IKTM流解釈 | 認知科学式気功 |
---|---|---|
抹消の術 | 霊を消す | 情報(アンカー)を抜く 情報(蟲)をつぶす |
除霊 | 霊を強制的にどかす |
機能させない状態にする |
浄霊 | 霊を無害にする | 情報(アンカー)を書き換える |
このように、思想が全く異なる技術体系であっても、考え方ががかなり共通であることが分かります。
いずれにせよ、霊=情報存在を処理して、人への影響をなくすことを目的としたぎじゅつですね。
まとめてしまうとあまりにあっさりしていて、書いている自分もびっくりです。(笑)
本質は同じなのです。
あとは、その人にとって臨場感が高い方法で行えばよいことになります。
おまけ?
抹消の術には独特の動作があります。
振り上げておいた手腕を一気に振り下ろすのですが、突く・切るといよりも、つぶすようなイメージです。
手で押しつぶすようでもあり、上から何かを落としているようでもあります。
まさに、認知科学式の、つぶす・壊すやり方と酷似しています。
ちなみにIKTM流の除霊は、突く・殴る・切り飛ばすイメージです。
このあたりもどこかで備忘録として書いていく予定です。たぶん。
ほんじつはここまでといたします。
うーん。ちょっとやりすぎたか・・・。
すみません。師匠。
気功における実体と情報の連続について
ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申します。
今回は超情報場仮説(情報場の考え方)についてのちょっとおさらいです。
気功に必要な情報場の考え方
この世の全てのものは情報で構成されています。
実体があるものは、抽象度が低くかつ臨場感が高い状態のものであると考えます。
ゆえに実態に対応する抽象度が高い情報体があるはずです。
そして全てのものにおいて、実体と情報体は連続しています。
地続きであります。
実体と情報体は抽象度の違いにすぎず、お互いに影響を与えています。
情報体を変えれば実体は変わり、実体を変えれば情報体も変わります。
しかし、実体が持つ臨場感は非常に高く、また物理的な存在ゆえの制約があります。
いくら情報体を書き換えても、実体がもつ臨場感を壊してその実態が変更されることは難しいこともあります。
特に物体(無生物)を、情報体の操作のみで物理的に変更するのはほぼ不可能です。(異論は認めます。)
科学式気功について その1 - 気功を伝統と科学で学ぶブログ
脳と心
しかし生物、特に高度な思考をもった人間ついては、情報体の操作で物理的な変化を起こすことが容易です。(物に比べてです)
ややかみ砕いた表現をしてみます。
実体=肉体 ⇔ 脳と心 ⇔ 内部表現=情報体
情報体を操作するとは、すなわち人の内部表現を操作することになります。
内部表現は人の精神、無意識でもありますので、脳の機能が操作されます。
これら操作により、脳が電気信号を発し、肉体に行動、変化をもたらします。
実体と情報体が脳と心を媒体として、影響を与えあっています。
連続して存在しているのです。
また脳と心は同じものを表しているととらえるとよいです。
脳の機能が心であり、物理抽象度が脳であり情報的抽象度が心ともいえます。
抽象度が違うだけで、脳と心は同じものをさしています。
人体の情報と実体の連続性
情報=気ととらえてましょうということは、本ブログでも繰り返し述べています。
そこで、気功のように人体に気が作用する方向は下記のようです。(繰り返しになりますが)
気=情報 → 脳と心 → 肉体=実体
この連続している感覚も重要だと思います。
情報が何らかの伝達方法で、人の心に届きます。(五感、第六感、科学的に解明さえていない領域も含む、です。)
人の心が脳内で電気信号を誘起します。
そして肉体に変化が現れます。
これは病気治療や能力開発など、人間に関わる気功やヒーリングがたどる道筋です。
ただしここで一つ注意したいのはあまりにも脳と心にこだわりすぎてもいけないということです。
以下のようにとらえることも必要です。
気=情報 → 人の情報場(内部表現) → 肉体=実体
人の情報場の一つの側面が脳と心とも言えます。
気功は情報場・内部表現の操作・書き換えです。
気功の理解又は他人への説明のためにかみ砕いて考えるのも必要ですが、上記の考え方(情報場)を中心に添えるべきです。
動物以外はどうか?
たしかにこれらのかみ砕いた脳と心の考え方では、脳を持った生物には効果がありそうです。(ペットにも気功が効果がある)
もちろん私の解釈・主張にすぎません。(様々な方の考えは取り入れてますが)
私なりに科学的な考え方をしているつもりですが、完全に科学で解明された世界ではありません。
そしてもう一つの疑問。
植物にはどうでしょうか? 気功は効果はあるのでしょうか?
実際に植物に気を送ると成長が早くなったりする例はよく聞きます。
しかし植物は脳と心を持っていません。(人によっては植物にも心があると主張する人もいますが・・・)
で、気功が植物に影響を与えるプロセスは以下の通りでしょう。
気=情報 → 植物の情報体(情報場) → 植物細胞の分裂などに関与する
情報場の考え方ですね。
臨場感をもって植物の情報体を操作することが出来れば、成り立つ系と言えます。
気功やヒーリングを脳と心だけで考えると、情報場を限定的に考えてしまい抽象度が下がった状態になってしまう例ですね。
気を付けましょう。
私も気を付けます・・・・気を付けます・・・。
情報体ばかり追い求めてしまう
しかしそれはそれで気を付けなければいけないことがあります。
気功に慣れてくるとついつい情報体ばかり追いかけてしまうのです。
実体よりも抽象度が高い(はずの)情報体は、低い抽象度の情報内容が包摂されていなければなりません。
実体と情報体の内包する情報が別系列の物ではだめです。
抽象度で測れません。
包摂された抽象関係でないと実態と情報体の相互作用はありえません。
すなわち気功やヒーリングの効果が薄らぎます。
また抽象度の高さばかり追い求めて、臨場感が薄れるパターンがあります。
(一部のスピリチュアルヒーラーに多い傾向と推察されますが)
ふわふわとした形だけの気功やヒーリングになりがちです。
ですのでフィードバックや臨場感を上げるための学習が必要なのです。
気功師、ヒーラーが見えないものばかりを追い求めると、この落とし穴にはまる傾向があるようです。
臨場感と視点の高さ(気功) - 気功を伝統と科学で学ぶブログ
ほんじつここまでといたします。
うーん、少々取り留めなない内容になってしまったかな・・・。反省。
ああ、もう一つ付け加えておきます。
様々な流派で様々な解釈がありますので、今回記した考えかたが必須とは言いませんよということです。
(手から出た龍が直接病巣を食べるのだ!と信じている人はそれでよいということですね。それで効果があるのだから。)
動物霊と蟲
ほんじつはおめでとうございます。
The Kerria Sasaと申します。
今回は、情報的存在とされる蟲と霊として語られる動物霊について考えたいと思います。
動物霊のことが中心になるかな・・・最近スピリチュアル系の投稿がなかったのでプルプルしているって事情もあります。
IKTM流(私が修行してきたヒーリングメソッド:I had received the Knowledge and Trained healing Method.)の備忘録も兼ねてます。
蟲蟲大行進
まずは蟲から。見出しはお遊びです。
蟲は、認知科学式気功を学んでいるとどこかの段階で出てくる現象です。
人の情報的レイヤーに張り付いているもので、自律的に活動しているように感じます。
気の視覚化が出来る人には、さまざまな形で見えることがあるようです。
多足生物のようであったり、スライムのようであったり。その大きさも、小さなゴキブリ程度のものから、部屋を覆うぐらいの大きさなど千差万別です。
見えなくても、触感がある人もいます。
クライアントの実態(肉体)を直接触る場合と、遠隔施術で情報身体を触る場合のいずれにしても、異物として触覚に現れます。
これら蟲が張り付いている状態は決して良い状態ではありません。
これらの概要は以前、投稿していますのでご覧ください。
動物霊
今回は動物霊の概要についてもう少し詳しく述べてみます。
ただし動物霊というものは流派によって定義される概念が様々です。
今回はIKTM流の定義を紹介いたします。
動物霊の定義とは?
動物霊とは広義では人間、植物、一般的な無生物、以外の霊をいいます。
狭義ではリュウ、ヘビ、犬、猫、狸、狐など一般的に知られたものや、人への影響が強い他の動物をいいます。
ペットとして飼われていた犬や猫は動物霊となります。ハムスターやイノシシの霊も動物霊です。ミジンコも動物霊です。そしてウィルスも動物霊として扱います。
宗教的・伝統的な考え方から、龍や蛇(漢字!)を特別視することも多いですが、動物霊の範疇であることは変わりません。
肉体を持ったことがない動物とは?
肉体を持ったことがない動物の霊も動物霊といいます。
空想上の動物も肉体を持ったことがない動物霊の範疇に入ります。
霊能力(霊が見える)を身に着けている人のみが認識できる動物とも言えますね。有名なものとしてはツチノコがそれにあたります。
また肉体を持ったことがない動物霊は、この世に生息する動物(実際の動物)よりもはるかに多種多様の動物が存在します。
リュウも肉体を持ったことがないわけですが、実に様々な色、形のものがあります。
(もちろん動物以外にも肉体・実体を持ったことがない、植物、物もあります。)
動物と人間の中間のようなものものも存在するようです。妖怪や鬼と呼ばれるものがそれにあたります。
動物霊の構成
動物霊はオス、メス、眷属のファミリーの構成をとります。
通常はオス、メスが各1匹。眷属は複数匹です。例外としては眷属を持たないもの、オスまたはメスのみの動物霊も存在するようです。
ただし飼っているペットが亡くなって霊のみの存在となった場合など、特定の対象の霊については、オスメス眷属の考え方を適用しない場合もあります。
(この辺りの考え方を、実態がある動物と一緒にしてしまうと混乱してしまいます)
”霊”そのものIKTM流の考えた方は下記のリンクを参照願います。
動物霊の影響
動物霊も蟲と同じように人に害をなす存在です。
極々まれにペットであった霊などの例外はありますが、基本的に有害です。
リュウなどは神の使い(?)として神聖で人を助けるといった流派はありますが、IKTM流ではその時代は終わっており、現在活動している(?)リュウはあくまでも動物であり人に害をなすものとしています。
人への関与の形態は、認知科学式気功の蟲のように人体又は情報身体に張り付くといった感覚がメインではありません。
その人へ”どこからか関与している”という表現が近いです。
霊は距離・大きさと時間の認識が少ない(基本ないが、全くないわけではない)ためこのような表現になります。
よく巷の霊能者(?)が「あなたの肩の上に霊が取り付いています!」といったりしますが、それはあくまでその霊能者がそのように見えていると解釈します。
以上がIKTM流の動物霊の考え方となります。
除去すべきものだが
蟲や動物霊は、クライアントの身体的不調、病気だけでなく、気分や気持ちに関わるもの、性格や行動の傾向に至るまで様々な影響があります。
これら蟲と動物霊はいずれににしても人に害を与えるのとして扱われるため、ヒーラーはその除去を試みます。
掴んで捨てる(気功的)場合もあるし、九字印などで吹っ飛ばす(除霊)場合もあるし、影響を与えないような状態に変更する(浄霊する又は情報を書き換える)場合もあります。
このときヒーラーは反撃をされないようにする必要があります。(もしくはびくともしない状態になるか・・・)
反撃という表現を使わないならば、受ける・かぶることがないようにする必要があるということです。
これはヒーラーの特に霊的なものを扱う人の寿命が短い人がいる理由の一つです。
反撃・受けるかぶるに気づかずに、いつの間にかダメージを受けてそれが蓄積する人が多いからですね。
蟲や動物霊を除去するのはよいですが、注意してやりましょうということです。
本日はここまでといたします。
気の玉の基本 内部リンク集
ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申します。
今回は認知科学式気功において最も重要と言っても過言ではない、気の玉の作り方についての内部リンク集を作ってみます。
特に気功を初めて日が浅い方は、それぞれのリンク先を読んで、実践してみてください。
気の玉の作り方の基本
気の玉の操作あれこれ
気を感じることがなかなかできない人は
練習時間がないとお嘆きのあなたへ
本日はここまでといたします。
式神と並列処理
ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申します。
本日は、気功技術の”式神”について、考えたいと思います。
様々な技術がある気功ですが、中にはオカルティックに映るものもあります。
その代表格が、”式神”の技術でしょう。
この”式神”は認知科学式の気功の技術ですので、名前がオカルト由来かもしれませんが誰でもできる技術として存在します。
さて、この式神とはなんでしょう?
まずは、伝統的な考え方をいくつか紹介します。
一番有名なのが安倍晴明のそれでしょう。
花山天皇が帝位を捨てて出家しようとした時、晴明は天文を見てそれを察知し、式神(十二天将)を使って朝廷に急報しようとしたが、ちょうどその時天皇は寺に向かっているところだった。
晴明の家では式神を家事に使っており、人もいないのに勝手に門が開閉していた。
これによると呪いだけでなく普段使いにも使用している、BOTのような感じですね。
ただ式神は安倍晴明意外にも使用されており、中には動物の恨みの念を利用して作るおどろおどろしいものから、紙で簡易的に作るものまで様々な定義がされています。
私もはるか昔、紙で簡単な人型を作りそこに息を吹きかけることで自分の分身の式神とする方法を見たことがあります。(その時はその紙人形のツボに針を刺して病気治療を目指すものでした・・・)
いずれにしても、式神とは何かしら使役(仕事や役割を与えられた)するものと言えるでしょう。
気功技術の式神も同じです。
式神に対して命令・お願い・設定することで、式神に仕事をさせるものですね。
気の玉を元に式神を作成し、その式神に様々なことをお願いします。
そのお願い内容は、例えばヒーリングです。
通常ヒーラー(気功師)が直接クライアントをヒーリングするわけですが、そのヒーリング行為を式神にお願いします。
これによりヒーラーがヒーリングを行わない間も、式神がヒーリング作業をしてくれることになります。
クライアントは長時間ヒーリングを受けるのと同じになるわけですね。
また専門技術に特化した式神を使用することにより、自分自身で行うよりも効果が出やすいようなものももあります。
これの例としては、自分の学習効率を加速するものや脱洗脳的な作用をするものがそれに当たるでしょう。(自分で行うとスコトーマに隠れてしまうものが多いかな。)
これらを効率的に使用することにより、目的に早く到達することができたりします。
式神は情報的存在です。
そして情報空間で生命を持っていると言えます。(自律的に動くわけですから)
高度な生命のように振る舞う(霊的な?)ものから、先に少し触れましたBOT程度のものもあります。
これら式神は生命である以上、進化もするし意識を持っているように感じます。(またはそのぐらい式神に臨場感を持っているということです)
ですので強力な効果が期待できる式神は呼び出した(?)ヒーラーのいうことを聞かなかったりすることもあるようです。何せ生き物なので。
これはいずれ解消できるものですが、自分が操る式神とは主従関係はあることは覚えておいていください。
さてこの式神。
説明を読んでもやっぱり怪しいと感じてしまうかもしれません。
そこでもう一つの切り口を提案いたします。
(正直言うと細かいことは考えずに、式神をリアルに感じてどんどん使役して自身のやりたいことを達成した方が、結果的には良いことが多いかもしれませんが・・・)
式神に命令して仕事をしてもらっている間、自分(ヒーラー)は違うことをしています。
これはすなわち、ヒーラーが並列処理をしていることになります。
通常の顕在意識と無意識が違う仕事をしていると見るのです。
式神が行う仕事が当然無意識の部分です。
無意識は並列処理数は多く取れますので、何体でも式神に仕事をさせることができるはずです。
通常の行動+無意識の仕事の並列処理が可能となているのです。
式神を通して、並列して行う仕事を明確にし実施させる(実施する)ことにより、無意識部分が仕事をしていると取れます。
式神と言うフォーマットとそれに臨場感を感じて操作することで、並列処理をよりしっかりと働かせることができるのです。
このように考えることで、ヒーラーが式神を使いやすくなるなら、いいかなと。
もちろん伝統的な式神的な臨場感で行うのも全然ありですよ。
本日はここまでといたします。
大周天と情報的身体
ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申します。
本日は気功の大周天に関して、考えたいと思います。
大周天とはなんでしょうか?
流派によって様々な定義があります。
私が初めて大周天という言葉を知ったのは、高藤聡一郎氏の著書でした。
学研社の秘法超能力仙道入門(ISBN-13 : 978-4051034177)や、今はなき大陸書房の仙人不老不死学(ISBN-13 : 978-4803306644)などですね。他にも多くの著書があります。
秘法超能力仙道入門―天地に充満する気を練成し超人になる (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)
そこには高藤氏の解釈による中国神仙道の瞑想方法が書かれており、小周天と呼ばれる体の前後中央の経絡に気を巡らせるものを経て、大周天と呼ばれる状態となるとの解説でした。
この高藤氏による大周天は人体の中心または背骨に気が通り、頭頂部で外界(人体の外という意味)との気の交換ができる状態となっている状態です。(かなりざっくり書いてます。)
※ちなみに高藤氏の仙道では、陽神と呼ばれる自分の分身(普通の人にも見える状態のもの。物理現象を伴うもの!)を作り出入りさせ、最終的にはその分身と同化し虚空に帰る(昇天する)ことや不老不死になることを究極的な最終目的としていました。まぁ本当にできるかどうかはわかりませんが。
中には体の中心を気が激しく上ることを大周天とする流派もあります。
また体内を気を巡らせることを小周天に対して、もっと大きく体外までも気を巡らせるため、小に対して大周天という説明もあります。
気を体外へ巡らせる出口として、先ほどの頭頂以外にも印堂と呼ばれる額のツボや第6チャクラ(額)とする流派や、仙骨(第1チャクラ)と頭頂の両方とする流派や、壇中(第4チャクラ)とする流派もあります。
重要なのは、いずれも自己の内部的な領域と外部・外界と交流しているところにあります。
チャクラまたはそれに準ずる身体の情報的中枢を使用しているのもポイントです。
もし出し入れだけが必要なファクターであれば、手から気を出したり感じたりしていること大周天と呼んでよいことになりますので。
さて、ここからは認知科学的な考え方が役に立ちます。
情報的な中枢(チャクラのような実際の肉体的器官はないが情報的に存在する)を利用しており、これは抽象度が高い(様々な情報・愛念を包摂する)操作と言えます。肉体と情報的身体(気の体と言い換えてもいいかもしれません)をコントロールしています。
そして外界と出入りするということは、外界を検知していることとほぼ同義です。(外に出た後、そこを感じているはず)
抽象度が高い情報的身体で外界を知覚するということになります。
そして情報的身体が広がることでより広く外界の知覚ができるようになります。
情報的身体が広がる=情報の知覚が広がる(包摂する)=抽象度が上がる、です。
高藤氏の比較的伝統的修練方法でも、陽神(アバター)を徐々に遠くまで行かせるようにして知覚の訓練をします。中国気功のある流派では額から飛び出した意識を遥かな星まで行って帰ってくるように意識したりします。
これら伝統的な修練方法はこれはこれで良いのですが、難易度が高かったり宗教的バックボーンが必要で臨場感が得にくいことがあります。
認知科学式の気功では、情報的身体を大きく(広く)することで大周天を行う方法があります。(巨人になっていくイメージに近いかな?)
自分の体を大きくする意識なので臨場感が得やすく、知覚も自分の肉体の知覚の延長と捉えることが容易です。
これまでの大周天に必要な要素を、非常に意識しやすくリデザインがされています。
しかも認知科学気功には大周天を行うための”伝授”があります。これにより、より大周天を行いやすい環境が揃っています。
大周天を行うことで情報的身体を大きくし、情報的身体の大きさイコール抽象度が高い状態となります。
体が大きいので遠くまで見通せる、そして地上では見えないものが俯瞰して見えるはずです。
まさに視点が高い=抽象度が高い状態です。
我々気功のヒーラーは、人がより良い人生を歩むことができるようにお手伝いすることが使命です。(その過程で病気治療が必要であればするスタンスのはず・・・)
そのためには抽象度が高い必要があります。もちろん単純に抽象度が高い方が気がたくさん出るといった事情もあります。
そのためには大周天を行い、情報的身体を巨大にするように努め、抽象度をあげることが重要です。
いや、ここまで解説すると大周天は一つのツールに過ぎないことに気がつきます。
ヒーラーにとって大周天は必須ではなく、抽象度をあげることが必須だからです。そのための道順は何でも良いのです。(認知科学式でも伝統でも他のヒーリング技術でも)
認知科学気功にはそのためのツールが大周天意外にも揃っているのでオススメですよ、という宣伝っぽいことになっちゃいました。あれま。
ほんじつはここまでといたします。
気功技術を抜くということ
ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申します。
前回まで伝授システムについて述べてきました。
今回はその逆です。
技術を非言語で渡すまたはインストールすることに対して、技術を抜くまたはアンインストールすることについてです。
気功やヒーリングの技術を、出来なくするようにすることはできるのか?ということです。
はたして一度伝授で習得した気功技術を取り除くことができるのか?
もう少し言うと伝授システムではない方法で習得した技術を取り除くことが出来るのか?ということについてもです。
技術抜き、伝授抜き、外しなどと言いますが、呼び方は色々あります。
流派やその人の習得レベルなどによって考え方は変わるとは思いますが、これまた現在の私の考えを述べていきます。
さて、
現在の私の考えでは、伝授によって気功技術を渡す・転写・インストールするという方法があるということは、逆もできるであろうということです。
ただし、技術は抜いても完全にはなくならないというように考えられます。
なぜなら人は一度覚えたものを完全に消し去ることは不可能だからです。(思い出せなくなっているだけです。催眠で本人が完全に忘れていた記憶を取り戻したり、記憶喪失状態が何かのきっかけで思い出したりすることを考えてみてください。)
以前にも書きましたが、伝授は人の記憶に非言語状態で技術法則を書き込むようなものです。
記憶に書き込むということは、覚えた状態になった訳です。
ですので、一度覚えた技術を抜くということは、意識に上がらなく又は意識にあげずらく又はあげ方がわからなくなるようする、といったことになります。
(よって意図的では無く一時的に技術が使えなくなることがあったりします。こわ。)
この考え方は認知科学式気功の考え方の一つです。
もちろん他流派の方の中には異論がある人もいるでしょう。
おまえに実力がないからだろ!という方いるかもしれません・・・。
ちなみにIKTM流でも技術抜きがありました。何度か見たことがあります。
(私が修行してきたヒーリングメソッド:I had received the Knowledge and Trained healing Method.)
IKTM流と相性が悪い(!)ヒーリング技術や気功を伴った武術などを習得していた方に気功技術を伝授するときに行うことがありました。ごくまれでしたが。
やり方としては、ある印を組み、頭上の気の体(オーラ?)部分を掴むような動作をして、取り出します。
そしてその取り出したものを捨てます。捨てるときは何か箱のようなものに入れて外に持ち出して、本人から遠い場所で捨ててきます。
この件で一番印象的なのは、中国武術をルーツとした某呼吸法の方でした。
かなり修練を積んだ方でした。
その方が「この某呼吸法はいらないので、取っちゃってください」とのことで、取ったのです。
技術をとった直後、目が泳ぎ、体が震えていました。しばらくその状態が続きましたね。その方もかなりの衝撃を受けていました。
その夜、その某呼吸法の人に本当に気功技術が使えなくなったのが試してみました。
いわゆる気で人を飛ばす流派でしたので、飛ばせるか?試したのです。
その流派は飛ばされる側もある程度の某呼吸法の鍛錬が必要とのことで、そうではない私は元から飛ばないだろうとのことでした。
まぁそれでもやってみようということになりました。
やり方としては対峙して立ち手の甲を合わせます。で、お互いに押しあうような動作をすると・・・・。
私より小柄な方ですがびくともしません。しかし逆に私は後ろにバランスを崩してよろけてしまいます。不思議な感覚です。
これらの状況から、この場合の技術抜きは対象の技術は全く使えなくなったわけではありませんでした。
しかしそれから数ヶ月後にはほとんどその技術のことを思いださなくなり、使わなくなっていたとのことです。
結果的には技術が完全に使えなくなったわけではなく、使わない、思わない、邪魔しない状態になっていたようです。
ちなにみ私も体験として技術を抜いてもらったことがあります。(認知科学式での体験です。)
立った状態で行ったのですが、なにかを持っていかれたような感覚あり、ひざから崩れ落ちるように力が抜けたのを覚えています。
きっと某呼吸法の人もこんな感じだったのかな・・・と思ったりしました。
この技術を抜くという技術はなんのためにあるのでしょう?
大きくは二つあるでしょう。
一つは、新しい技術を学ぶ際に前の技術(記憶)が邪魔をする可能性があるためです。
邪魔をする技術をとりあえず横に置いておくことができます。邪魔しない状態にできるわけです。
(これをもう少し考えると、伝授をするときに干渉しないように伝授することもできる気がします。邪魔をする技術をどかすのではなく、入れる技術を邪魔しないように入れるということですね。)
もう一つは、技術(旧技術)を抜いても実は記憶の底にあることから、新しい技術、体験、知識を得ていくうちに、必要であれば無意識が必要な旧技術を思いだす(とってくる)ことにより、その人の技術全体を統合・発展していくということです。
いったん抜かれた技術も、必要であれば戻ってくるという方がよくいます。
これにはスピリチュアル的な解釈もできますが、これまでの説明でも矛盾がないと思います。
そして決して他人を困らせるためにあるのではありません。
まれにペナルティとして技術を使えなくすると主張するヒーラーもいますが、私はその考え方(技術の使い方)には賛同できません。
まぁ、個人のポリシーのようなものです。
技術の使い方は個人の自由ですからねぇ・・・。うーーん。
まだまだ色々と書きたいことはあるのですが・・・。
今回はここまでといたします。