霊術と気功を伝統と科学で学ぶブログ

Sun-Light Yellow Arts :あともう一つの解決方法をあなたに

アジュナチャクラの光について 後半

ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申します。

本稿は前回の続きになります。検索で来た方は下記リンクを見てからでお願いします。

 

thekerrias.hatenablog.com

 

私の場合

私の道程を紹介します。全ての人がこうなるわけではありませんので念のため。また最初からはっきりと見えたわけではなく、最初は本当にはっきりしない(眼閃が見えたかどうかも怪しい)状態からのスタートでした。

STEP1:眼閃(丹光)があることを知る

学生のころから目を閉じるとゆらゆらと動く光がみえることは認識していました。ただしそれは視神経が刺激されることによるものだと理解していました。

 

しかし私の気功実践のきっかけである高藤聡一郎氏の仙道関連の本を読んだところ、それは丹光でありその光は意識でコントロール可能であるとの記述を発見。神秘行へのあこがれから目を閉じて瞼の裏の光を追いかけることはよくやっていました。”その3”の方法ですね。この段階ではアジュナチャクラの光を見る意識はあまりありませんでした。この段階では強い光や明るいと感じるようなことはありません。またその丹光も安定していません。

 

STEP2:瞼を通った光を見てその気になる

STEP1からだいぶ間を開けてになるのですが、認知科学式気功の師匠からアジュナの光は共感覚のひかりであることを学びます。目を閉じた状態で瞼を通して見える(感じる光)を当たり前だと思わずに、その光が呼び水になる又は、アジュナの光そのものだと思い込んで訓練するようにしてみました。

 

手のひらの触覚共感覚を訓練する際に気の玉を作ります。その際に実際に物を触ってその感覚を覚えておき、気の玉(実在しない情報的もの)を感じる訓練をする方法と似ています。同じ共感覚であればこその練習方法とも言えます。

 

練習方法その1とその2をことあるごとに行っていました。長時間ではなく短時間でちょこちょこと。仕事中でも悩むふりをしてその2の方法を実践してみたり・・・・。

 

STEP3:突発的に明るさを感じるようになる

しばらくすると、夜中寝ているときにほぼ真っ暗なはずなのに(瞼を透けて入る光はない状態)、左目の下半分だけ一瞬強く明るくなることがありました。

師匠から予測されていた現象でしたので驚きはしませんでしたが、とても奇妙な感覚です。そして光る場所がアジュナの額方向(上部方向)ではなく下方向であったことも驚き(ちょっとがっかり)でしたね。

 

このころはすでにその1の練習方法メインとなっています。常時明るいわけではなく、ごくごくまれに明るくなるだけの状態です。ただし瞼の裏の眼閃はほぼ見える状態になってきました。

 

STEP4:その他の共感覚と相互補完していく

上記STEP時のころから、気の玉の感覚がよりリアルになってきました。これは光の共感覚を鍛えることで、その他の共感覚が研ぎ澄まされていったと理解しています。

 

また逆に、その他の共感覚を感じる練習(この場合気功を行った結果の体の感覚の変化を感じようとすること)を行っていると、眼閃(丹光)がより感じられることを認識しました。

 

アジュナの光も共感覚であるので他の共感覚と連動しているのです。

 

STEP5:意識すれば光を感じる

最初は瞼を通して入ってきた光とわざと混同させていたのですが、真っ暗な場所でも同じように光を感じるようになりました。目を閉じて光を感じた時に、手で外部の光源を遮っても同じように光が見える状態です。

 

特にその1の方法でアジュナチャクラに意識を向けると、視界(眼は閉じてますが)の上部が明るく感じます。また眼閃のもやもやがランダムな動きをする状態から、その光がまとまっていくようなことがおおくなっています。

現在この状態から少し先に行ったところです。

 

気を付けるべきこと

一言で言うと、”やりすぎない”ことです。

 

アジュナチャクラの光を見る訓練はとても楽しいです。ついつい目をとじてそればっかりしてしまいます。様々な情報(本やインターネット)にあふれるアジュナチャクラの神秘性やスピリチュアル性ゆえに、なにかがおこるかも・・・といった期待があるとなおさらです。

 

この光を見る練習は一種の瞑想状態になっています。このとき心に浮かんだ様々な事柄がヴィジョンとして”本当に見えた”ように感じたり強い神秘体験をすることがあります。

 

私もふいに道路に設置された看板が見えた(なぜか白黒)ことや、宇宙人(?)のようなものが見えた気がしたことがあります。いずれも意味のないことです。

 

これらのこれにとらわれ、追い求めることはよいことではありません。いわゆる”魔境”の境地に近いといえます。意味のないことにとらわれて、時間を無駄にしてしまいます。また禅病と言われる体の不調や幻覚(そういう意味では私は危なかった。師匠についていない前述したSTEP1の時でした。)が現れる可能性もあります。

 

私たちは共感覚で光をみている(のにすぎない)のです。

 

大事なことは

アジュナチャクラの光を見ることが目的ではないはずです。

 

この光そのものの活用方法はありません(たぶん)。夜道を照らしてはくれません。光が見えたのは共感覚が鍛えられた結果に過ぎないと考えてください。情報的存在であるチャクラが活性化したととらえてもよいかもしれません。(活性化の定義があいまいかもしれませんが)

 

チャクラの開発の目的は何か?を考えてください。(本当は最初から考えるべきですが、なかなかそのような人はいないのが実情)

 

そのチャクラで共感覚で何をするのか?です。その結果どうなりたいのか?です。

ネット上にはあれこれ書いてあるけど・・・。都合の良いことばかり書いているけど・・・・。人によって、サイトによって、本によって微妙に言うことが違ったりしませんか?

 

たしかにスプーン曲げや味の変更(すっぱみを抜くとか)がやりやすくなることもありますが、だから何?なのです。そんなものはすぐに飽きてしまうでしょう。

 

自分のやりたいこと・なりたい自分・ゴールによって必要な、開発されるべき能力の素地ができたと考えると良いと思います。

 

私の場合、病気施術のための気感強化やIKTM流の霊視強化のためのオーラ視などの習得がしたかったのです。その訓練のプロセスの一つにアジュナチャクラの光があり、その結果、光の共感覚→その他の共感覚強化→気感強化とオーラ視の強化、とつながっていったと感じています。

 

共感覚強化が直接の目的でなくても、気功の上達が目的であれば必要な共感覚が鍛えられてゆくでしょう。気功が格段にやりやすくなります。

 

気功が目的でなくとも、共感覚の強化による洞察力向上やIQの向上による目的達成のサポートは期待できるかもしれません。

 

いずれせよ、光を見ることが目的ではなく、開発された共感覚(さらにはチャクラの活性化も入れてもOK)により、自分の目的達成のためのツールや素地になっていくはずです。

 

逆に目的が全くないと、単に光が見えておしまいです。ある意味もったいないですね。

 

ほんじつはここまで

アジュナチャクラの光について、自分の体験談も交えて記してみました。

誇張をしていない分、巷に多くいる覚醒者(?)に比べるとずいぶんしょぼい状態かもしれませんね(笑)。

 

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