棚がよくわからないよ!
ほんじつはおめでとうございます。The Keria Sasaと申します。
本日は”棚”について述べてみたいと思います。
お皿やおやつが入っているいつもの棚でありません。気功の話です。
認知科学式気功の技術として、”棚”と呼ばれるものがあります。
ふかーーい考え(理論)があり突き詰めるの色々とあるのですが、とりあえず便利なツールとして使用をしています。
技術的には、”情報を取り出し、そして収納するための技術”と考えると良さそうです。
系列(!)の気功を習ったことがない人にとってはわからないかと思いますので、概要を簡単に説明いたします。(あくまでの私の現在の解釈だと言うことは言っておきます・・・)
棚
気功の基本は情報の操作です。情報=気と思って差し障りありません。
ですので情報を気として触って感じることができます。
特に認知科学式の気功の多くは触ることが出来る”気の玉”の形で情報=気を扱います。
球状にすることで、数多くの気の情報を扱うことが容易にできるようになるのです。
自分(アバターとも言いますね)や相手(被施術者)も気の玉として扱うだけでなく、使用する技術も気の玉として存在できると定義できます。
そして気=情報は、情報空間に存在する(超情報場仮設の解釈)はずです。
であれば、情報空間から情報を自由に取り出すことができたら便利ですよね?
それを可能にするのが”棚”と言う技術になります。
例えば遠隔の施術を行うとき、相手(被施術者のアバター・気の分身)を自分のところに持ってくるのにも棚が使えます。
さまざまな気功(認知科学式に限らず)では相手の気を呼び寄せるときに、ZOOMの画面や電話で会話をする方式をとることがあります。
しかし棚を使えば、棚から相手を持ってくれば良いことになります。
簡単で便利です。
また気功技術を発火させるために、棚から気功技術を気の玉の形で持ってくることもできます。
気功技術の”棚”は棚ですので? 取り出すだけでななくしまうこともできます。
自分が体験した経験やその時の感情を気の玉の形でしまえるのです。
しまったその気の玉はいつでも取り出して、使用することできます。
気分が上がってポジティブになっている状態を気の玉にしてしまっておき、何かの際に取り出して自分に封入などを行ったりできます。
これまた便利ですね。
また”棚”は見える人には見えます。人によって多少見え方は異なりますし設定もできるのですが、小分けされた扉がいくつもある巨大な棚のようです。人によっては図書館の本のように見える人もいるとのこと。
欲しい情報をとるときに、目の前に必要な扉が瞬時に移動してくる人もいるし、いつも同じ扉でその中に手を入れて弄って情報を取り出す人もいるようです。
でも棚がよくわからない
認知科学式気功の”棚”を使い始めると、あまりにも便利な技術のため日常的によく使うのものです。
しかしなぜそこから自由に気の玉=情報を持って来れるのか?を考えるとよく分からなくなる人がいるのではないでしょうか?
まぁそんなことはどうでもよく、使えるものは使って便利に気功を行い、より良い人生を送ることができれば良いのですがね。
私は気になってしまいました。(笑)
ここからは私個人の考えなので、諸先生方からすると”ちがーう”と思われるかもしてませんが、一応記してみます。
棚は情報を出し入れします。出すときは”名指し”をしていると考えられます。しまうときは、意識にアンカリングしていると考えられます。
まずは、情報を出す・取り出すときですね。
情報=気の玉を取り出すとき、必ず何を取り出すか意図します。これは名指しに他なりません。なんとなくではないはずです。
”これこれの情報・気・アルゴリズム・感情”と明確にしているはずです。名指すことで情報空間にある特定の情報にアクセスしているのです。名指しによる縁起ともいるかも知れません。(難し表現だな・・・)
しまうときは、情報・アルゴリズム・感情などを気の玉の形にして行います。このとき自分の中に(内部表現)にしまいます。アンカー=記憶します。
人は一旦認識したもの=記憶すると忘れません。一般的に忘れるように思うのは思い出せないだけです。
思い出すために、整理してしまうのです。気の玉にパッケージして範囲を認識し、棚にしまう動作と手の感覚をもちいてしまう=記憶するのです。
動作と感覚を伴った記憶は思い出しやすいものです。
ああ、まだ先生に細かすぎると怒られそうだ・・・・(笑)
審神
IKTM流(私が修行してきたヒーリングメソッド:I had received the Knowledge and Trained healing Method.)には少し文脈(?)が異なりますが、似た技術があります。
審神(サニワ)と言います。一般的にはサニワは審神者と書きますが、なぜだが審神です。
審神者とは呼んだ神様が本物かどうか判定する人を言います。出口王仁三郎は最後の審神者などと呼ぶ人もいますね。
このIKTM流の技術は、名指しした神=霊を頭上に並べ、その中からもっとも関連する霊をチョイスする技術です。
頭上に並んだ霊はバーコードのように見え、それを手の平でなぞり、反応が強いバー=霊をおろすのです。
見た目?は異なりますが、やっていることはすこぶる似ています。
意図する情報を取り出すのです。取り出すものが気の玉の情報か、霊かの違いです。審神の場合の霊も情報の一形態だと理解すると同じと言えます。
ただし、残念ながらしまう技術はないようです。
本日はここまで
今回はずいぶんマニアックな内容になってしまいました。
参考になる人に参考になればと・・・・。