霊術と気功を伝統と科学で学ぶブログ

Sun-Light Yellow Arts :あともう一つの解決方法をあなたに

呪いについて

ほんじつはおめでとうございます。The Kerria Sasaと申します。

 

本稿ではちょっと趣向を変えて?見えない技術のダークサイドのことを考えてみたいと思います。

(あれ?前にもあったかな?)

 

thekerrias.hatenablog.com

 

 

今回はそのダークサイドの中の”呪い”について考えてみます。

 

内容的は実際に自分でやったことはないので、知識・見聞的になります。

 

呪いとは?

呪いとは、人のマイナスの思い(うらみ、つらみ、ねたみ、そねみ、いやみ、ひがみ、やっかみ)から発して、何らかの方法・経路で人にマイナスの影響を与えるもの、と捉えることができます。

 

昔から”呪い”は存在しています。

 

そして現在ももちろん存在しています。

 

その要因は、お金、色恋、土地、がクラシカルな定番です。

 

現在はより複雑にはなってはいます。

 

しかし人を呪うほどのマイナスの思いは上記三つが大きいのではないでしょうか。

 

また厄介なのは、逆恨みも恨みのうちということです。

 

本人が全く悪いことをしていなくても、恨まれ呪いをかけられてしまうことがあります。

 

日本でもっとも有名なものが、”丑の刻参り”でしょう。

丑の刻参り - Wikipedia

 

神社の御神木に、相手に見立てた藁人形を、釘で打ちつけるものです。

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時間、衣装、他人に見られない、連夜といった条件を定め、相手に見立てた藁人形で目標を明確にし、その対象に具体的に釘を打つという身体を使った方法で臨場感を究極まで高めます。

 

これによって、相手に影響を与えるまでの呪力(呪いの力)が発生します。

 

すなわち、内部表現を書き換えを行っているのです。

 

この儀式を行うことで、非常に呪いの力が発揮されるのです。

 

実際に今でも行われており、神社で藁人形が発見されたりするようです。

(逆に願掛けに関しても”お百度参り”といったシステムもあるのですが。)

 

次に多いのが、俗にいう”拝み屋”に依頼する形でしょう。

自分の恨みを晴らすためにプロに頼むのです。

 

少し昔までは拝み屋と呼ばれる人が多くいたようです。

または”祈祷師”と呼ばれる人もそうです。

 

今でもこれらの人はもちろんいますが、名と形を変えて多様化しているので実際にはよくわかりません。

 

本来街の拝み屋は、病気や人間関係のトラブルなどを解消することがメインのはずです。

しかしお金のために”呪詛師”に身を落とした人もいるようです。

 

呪いを行うプロに関しては私も詳しくはありませんが、”動物霊”を使う方法論が多いようです。

(あくまでも私の知っている範囲の話ね。)

 

丑の刻参りのように意図的に人に呪いをかける場合意外に、意図せず”呪い”の形になっているものもあります。

 

強く恨むことでその恨みの対象に影響を与えてしまう場合も、広義の意味で呪いと言って良いでしょう。

 

”呪い”から離れるためには、人から恨みを買うような不義理をしないことに尽きるのですが・・・。

 

逆恨みもその対象となってしまうので、例えば事業に成功した場合など強いやっかみと逆恨みが発生したりします。

 

こうなるとなかなか”呪い”をかけられないように、人からマイナスの思いを向けられないようにするのはなかなか難しいのかも知れませんね。

 

もっともマイナスの感情が強い”呪い”になる(意図的、無意識的含めて)のはあまりないはずなのですが・・・。

 

現実に現在の巷には呪いと思われる現象が数多くあるのもまた事実・・・・。

 

そういえば恨みを買わないためには、ひっそりと百姓を生業にするのが良いと言っていた人がいたな・・・。

(実際には農協と揉め事を起こしたりするのですが(笑))

 

では次に”呪い”が人に影響を与える例を考えてみましょう。

 

呪いが”効く”のはなぜか?

ここで言う”呪い”はどこかに必ず”目に見えないプロセス”が存在します。

 

恨みが高じて人を包丁で刺す、のは”呪い”ではないとします。

 

”呪い”の効果の現れ方はさまざまです。

 

わかりやすいのは、体調を崩したり、事故にあったり、事業に失敗したりすることでしょう。

 

これらの多くは、その人の認知のズレが起きた結果、引き起こされる場合が多いです。

 

呪いにより、認知のズレを起こすように内部表現が書き換えられてしまうのです。

 

ここが見えないプロセスに当たります。

 

ほとんどが非言語の働きかけですが、中には言語を使ったものもあるので、一部例外はあります。

 

内部表現が書き換えられて、人の認知にエラーを起こすと言っても良いでしょう。

 

例えば、赤信号を青と誤認識したら?

 

普段はあり得ない体勢で重いものを持ってしまったら?

 

帳簿に記入する数字の桁を間違えてしまったら?

 

さらに呪いに影響がある範囲が、呪われている人意外の人にも働きかけられているとしたら?

 

茶店でウエイターさんがつまづいて熱湯をかけられたら?

 

居眠り運転の車が突っ込んできたら?

 

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逆に全くの偶然の事故などで呪いが成就することはごく稀です。

 (内部表現の書き換えがプロセスに存在しない)

 

例えば”隕石に当たって◯ぬ”などがその典型です。

 

また最近の呪いはエレガントな傾向があります。

 

いきなりガツンと来るのではなく、じわじわと侵食していき、気がついたら破滅している・・・と行った感じです。

 

あまりに自然に効いてくるので、呪いをかけられている事に気がつきません。

呪われた結果の事業の失敗などがこれに当たるかもしれません。

 

このように呪いは人などの内部表現(情報)を書き換える事により実行されます。

  • 呪われている人にダイレクトに書き換えに行く
  • 他人を操って影響を与える
  • 人間以外の内部表現(情報)を書き換えることで影響を与える。(動物霊の使役によるものはこれに当たります)

呪いはどこにどのように効いてくるかわかりません。

 

直接、間接的のどちらかは普通はわかりません。

 

そもそも自分に呪いがかけられている事に気が付かないことがほとんどです。

 

そして巷の占い師ではわからないことがほとんですし。

 

人を呪わば穴二つ

人を呪わば穴二つ - ウィクショナリー日本語版

これまでの話を読んで、呪いをしたくなる人がいるかも知れません。

(いないか・・・)

 

呪いは必ず自分に帰ってきます。

因果応報です。

 

帰ってくる形はさまざまです。

呪った形とは別の形で自分に帰ってきます。

(返ってくるのは、呪詛返しだけではないと言う意味です)

 

また”行者の最後は哀れなり”と言われたりします。

呪いの術者はろくな最後を迎えられません。

 

本日はここまでとします。